東人の新居浜生活新居浜の暮らし(1)新居浜の暮らし


お多福風邪

 娘が耳の下が痛いと言いだした。別に色は変わっていないので大丈夫だと思ったが、お多福風邪であった。 
 最近、新居浜付近ではお多福風邪がはやっているようで、娘も感染してしまったようだ。
 病院に連れていき、看護婦さんに耳の下が痛いと言ってると言ったらすぐに別部屋に案内された。 診察でも、お多福風邪と診断され、1週間は幼稚園を休まなければならない。
 その後、幼稚園の先生から電話がかかってきて、娘とよく遊んでいた他の園児二人も同時にお多福風邪にかかったとのこと。
 妻は娘の友達の「お多福メイト」が遊びに来るのでは、と心配していた。
 その心配が的中した。娘が幼稚園を休んでいるのに、その「お多福メイト」の一人が家に遊びに来た。
妻が、「娘はお多福風邪だらか遊べないよ」と言うと、その子は、「私だってお多福だから平気よ!」と威張って言っていたそうだ。妻が何とか説得して家に帰したそうである。
 娘のお多福風邪は、軽く済んだ。頬の腫れも、元々が丸い顔をしているので目立たなかった。 


新居浜弁

 娘の新居浜弁はますます上達していった。
「こうしたらイカンノンヨ」とか言いだす。関東の言葉に直させようとすると、「だって、友達がみんな、このように喋ってるのジャケン」。・・・もう何も言えない。
アクセントも四国のアクセントになってきた。「見て」という時でも、語尾の「て」にアクセントがついている。

 幼稚園の春休みに、妻と娘は関東の妻の実家に一時帰省した。その時、娘が四国弁を喋ると親戚一同が「可愛い」といって受けたそうである。

 妻も最近、幼稚園の母親どうしで話すようになり、四国弁になりかかっている。「・・・セナイカン」と自然に出てきたり、娘に「ハヨウセンカイ!」と怒鳴ったりしている。
 東人一家も新居浜の中に次第に溶け込んできている。
 


娘の性格

 幼稚園の先生の話では、娘は幼稚園の中では、他人に圧され気味のようである。
 言いたいことがなかなか言えない性格で、自分が判っていても、自分が正しくても、うまく自己主張ができない性格とのことであった。
 妻がそれを聞き、「そんなことではだめた」と娘をたしなめた。 東人もその話を聞かされたが、何も言わなかった。
 妻は、この娘の性格について東人の母にも電話で話したようだ。母はその電話を切った後、笑ってしまったそうである。
 そう、その指摘は父である東人の性格そのものであった。 過去もそうであったが、今でもその性格で苦労している。
この子も、これから自分と同じ苦労をするのか、と思うと不憫にも思う。
 
 「三つ子の魂百まで」などというが、それ以前に、人の性格については先天的な要素が多いのかと思う。
 幼稚園でも、人をいじめる子、暴力を振るう子などがいるという。そのような子は、親の躾の問題とされがちだが、躾以前に親から引き継いだ性格なのかと思う昨今である。


バイオリン

 妻は娘にバイオリンを習わせたいと望んでいた。新居浜で子供にバイオリンを教えるところを探したが、適当な所は無かった。
松山ではどうかと調べていると、「スズキメソードバイオリン教室」というものが見つかった。
妻は「スズキメソード」を知っていた。妻の望んでいたのはここだったらしい。
3才の子供からバイオリンなどを教える教育機関であった。
松山まで話を聞きに行き、レッスンが始まった。 始めたのは、娘が3才の時。外出するときは、まだオムツをしていた。松山まで週に一度バスで通ってレッスンを受けた。
最初の頃は、約1ヶ月は他の生徒のレッスンの見学であった。その後、娘のレッスンが始まった。
最初は、「キラキラ星変奏曲」で、これは長く続いた。その後、次の曲に進み、4才の時の6月には発表会で「むすんでひらいて」を演奏した。
レッスンは松山まで出かける必要があったが、その後、西条でレッスンを受けられるようになった。
個人レッスン以外に、全体レッスンも月に一度開かれる。これは、主に松山の生涯教育センターで開かれる。これには日曜に家族全員で出かける。
バイオリンの練習の時は、毎日、母と娘が格闘しているようであるが、娘のバイオリンは次第に高度な曲へと変わっていく。
普段は幼稚なことばっかり言っている娘も、バイオリンを持つとJ.S.バッハの曲を弾いたりする。

「スズキメソード」の創始者の鈴木鎮一先生は、1998年の1月26日に99才でご逝去されました。

【関連URL】
         (社)才能教育研究会 【スズキメソード】公式サイト


迷子

 
一年前の桜の季節。東人が仕事中に家から電話がかかってきた。妻からであったが、娘が迷子になったとのこと。
娘を連れて滝の宮公園まで歩いて行ったが、公園で雨が降り出して皆が雨を避けるために避難したときに娘を見失ったらしい。 急いで、家まで帰った。
滝の宮公園の管理事務所にも連絡して、公園内の放送でも呼びかけたらしいが見つからない。
暫くして、管理事務所から娘が見つかったと連絡が入り、早速迎えに行った。
管理人事務所では、娘がおとなしく座ってジュースを飲んでいた。
遊具広場の藤棚の下でおとなしくしていたそうである。迷子になって泣いていればすぐに見つけられたが、一人でションボリ立っていたそうである。
娘を引き取り、管理事務所をあとにした。車に乗せたとたん、娘が泣き出した。今まで堪えていたのが吹き出したのだろう。


電話料金

東人が関東に居たとき、会社の寮を出て暫く一人暮らしをしていた。
そのころのダイヤル通話料金は、平均で月437円であった。最低のダイヤル通話料として、10円というときもあった。
電話に加入する際、キャッチホンサービスも契約したが使ったことは無かった。
結婚して、妻と暮らすようになってからは、ダイヤル通話料は月平均で3,422円まで跳ね上がった。妻の電話は長かったが距離が短かったのでこの程度で収まったのだろう。妻は早速、キャッチホンの機能を使っていた。
日本テレコムにも加入していたが、請求額はたいした額ではなかった。

新居浜に来て、日本テレコムの請求は、妻が関東にかける電話が殆どであった。電話料金は、平均で12,518円、多い時は月に2万円近くにもなることもあった。
妻も控えてはいるようだが、それでも距離が長くなったために電話料金はかかるようになった。
東人一家の転勤後、妻の妹の家の電話料金も跳ね上がったそうである。

東人がインターネットを始めると、また電話料金が跳ね上がった。インターネットの通信速度の不満から、すぐにINS-NET64に切り替えたが、請求書にはINS通話料と通信料に分けて記載される。
インターネットの接続によるINS通信料は、現在月々約6,000〜7,000円となった。


生活パターン

娘が幼稚園に行くようになり、当家の生活のパターンに変化が生じた。
幼稚園に行く前のころの東人の帰宅時間は遅かった。 夜の22時か23時頃に帰宅した。しかし、その時間に帰宅しても娘は起きていた。
帰宅後、娘を風呂に入れてから食事をした。 食事をしている最中に妻は風呂に入り、その間娘も私の近くで本をみたりしていた。 そして、家族は殆ど同じ時間に寝るのが普段の生活であった。
 ある時、仕事でトラブルが発生して帰りがさらに遅くなった。 午前零時を過ぎて帰宅した頃には家族は当然寝ていた。風呂に入り食事をして床に就こうとすると、娘が寝ぼけながらも「パパ、お帰りなさい」と言い驚いた。

 娘が幼稚園に行きだしたころは、東人の仕事の内容も変わり、少し早く帰れるようになった。 21時前に帰宅し、娘を風呂に入れて食事をする、ということで、以前に比べて数時間早めのパターンとなった。 また、娘を幼稚園に通わせるためには、その時間までには風呂に入れて寝かせなければならない。

その後、東人の仕事がまた忙しくなった。帰りが遅くなり、妻が娘を風呂に入れて、帰宅する頃にはもう寝ているという状態になった。
娘が寝ている間に床に就くが、娘も熟睡しており、以前のように「パパお帰りなさい」と寝ぼけて言うこともない。


娘の夢

当家には、能面が飾ってある。妻の叔父が作った物である。それを見て娘は育った。
 娘が時々、寝ている時にみた夢の話をする。その夢には「能面さん」が出てくるようだ。
ある夢の話。娘が母(妻)と出かけて、母とはぐれてしまったそうである。その時に能面さんが出てきて、娘を助けてくれ、家まで送ってくれたそうである。家の玄関まで来ると、玄関に鍵がかかっていた。能面さんは、鍵を持っていて玄関の鍵を開けてくれ、家の中には、はぐれた母が居たとのこと。
おかしな夢であるが、娘の世界では「能面さん」が存在するようである。


キャラクター商品

入園準備で、キティちゃんグッズについて触れたが、リンク先のりゃんさんのHPに「キティちゃんのしっぽ」というコーナーが有り、キティちゃんグッズがリストアップされていた。私のHPを情報源とした、キティちゃん徳利や防災袋も入っていた。
あらためて、娘の持っているキティちゃんなどのキャラクター商品を調べてみると、色々出てきた。

キティちゃん
箸、 トランプ、 スポンジ、 タンバリン、 水筒、 カップ、 ふりかけ、 絵合わせパズル、筆箱(写真)、 財布、 クレヨン、 テンプレート、 スリッパ、 クリスマスのお菓子入り長靴,エプロン、(キ)Tシャツ、 ボール、 パンツ、紙コップ、枕、靴、博多土産のラーメンドンブリ

 


ミッキーマウス
クレヨン、貯金箱、おもちゃのコードレス電話、コップ、色鉛筆、スリッパ、スポンジ、ハミガキ,歯ブラシ

ケロッピー
スポンジ、浮き袋、カップ

娘と一緒にサンリオのHPを見て知ったこと:
ケロッピーの名字は、「蓮の上」、お父さんはお医者さんだそうです。
・・・・・・こんな事知って何の役にもたたないが・・・・。