東人の新居浜生活新居浜の暮らし新居浜の暮らし(3)


モーツァルト


 娘の見た夢シリーズ。
 小学一年生の娘が朝目覚めると突然、泣き出した。
 何か怖い夢でも見たのかと思った。
 娘は泣きながら、「モーツァルトさんにオバサンと言われた〜」と言っていた。
 
 後で話を聞くと、夢の中で子どもの頃のモーツァルトと一緒に遊んでいたそうだ。すると突然、モーツァルトさんが娘にオバサンと言ったそうだ。 
 娘は悲しくなり、泣きながら駆け出した時に目が覚めたらしい。
 
 その少し前に、テレビでモーツァルトなどの音楽家の話の番組を見たらしい。
 その影響で、「アマデウス」の映画を見たいと言い出した。
 奥の方から「アマデウス」のレーザーディスクを引っぱり出し、久々にレーザーディスクプレイヤーにかけたが、プレイヤーが動かなかった。知らぬ間に故障していたようだ。
 娘は「アマデウス」を見たかったようだが、動かなければ仕方がない。
 
 娘は興味を持つと、それに熱中するタイプのようだ。誰に似たのか・・・?。

 レーザーディスクは見られなくても、夢の中でモーツァルトと遊んでいたのだった。


東人の隠れ家

 
 去年の話になるが、東人はある国家試験を受験することにした。試験は98年10月4日(日)に行われた。
 
 受験日の数日前に、[今度の日曜は試験を受けに行く。」と妻に話した。
 妻は呆れ返っていた。いつもインターネットに明け暮れて、試験を受けるというのに禄に勉強している様子も無く、そんなことで試験を受けて受かるはずがない、良い度胸をしていると思っていたようだ。
 
 確かに、休日は家族をつれて買い物に出かけなければならない。平日は当然会社に出勤する。 試験の勉強などしていることは判らなかったようだ。
 試験の願書提出は7月だった。そのころはまだ先のことと思っていた。8月の末辺りから勉強はしていた。
 しかし、勉強する時間は限られていた。会社の勤務時間終了後にも試験の準備をしたが、会社に居ると色々と雑用が舞い込んできたり、電話がかかってきたりしてはかどらない。
 家に帰れば、娘が遊ぼうと誘う。娘が寝てからはホームページの更新に取りかかる。やはり、インターネットに明け暮れていた。
 
  休日などは、午前中の娘がバイオリンの練習をしている(させられている)間は家を抜け出していた。ホームページ更新のための取材もあったが、試験直前には隠れ家に通っていた。  隠れ家で試験勉強をしていたのだ。
 
 その隠れ家は、別子銅山記念図書館愛媛県総合科学博物館の図書室あるいは新居浜近郊の喫茶店であった。
 
 妻は東人がインターネットばかりしていると思っているが、インターネットで試験のための参考書も検索し注文した。

 試験会場は、高松の香川大学であった。多くの人が受験していた。合格率は10〜20%程度の試験らしい。
 受験後、あまり自信は無かったが、12月に合格証が届いた。
 受かっていた。ということで、妻も期待に反して合格していたので非常に驚いていた。禄に勉強せずに受かるなんて、と思っていた。
 
 勉強していなかった訳では無い。隠れ家で勉強していたのだ。
 
 今年(99年)も、別の試験を受験することを予定している。
 去年に比べて今年は仕事が忙しくなったので、どうなることやら・・・・。
 
 そろそろ、隠れ家通いを始めるかな。


トリケラトプス

    先日、娘が目覚めると、夢の中で、トリケラトプスに乗って走っていたと言った。
「トリケラトプスは優しいんだ。」とも言っていた。
 トリケラトプスとは恐竜の一種である。
 草食の恐竜ではあるが、子供にとっては優しい恐竜とうつるらしい。
 その時代に人類が居たわけでは無いが、娘の世界では、トリケラトプスも現実の存在のようだ。
 
 
 
 写真は愛媛県総合科学博物館の動くトリケラトプスの模型。


肝油

 
 
 娘が学校で注文した肝油を持ち帰った。
 カワイの肝油ドロップ、今でも有ったのだ。

 東人が小学生の頃にも、給食の時に肝油が配られ、夏休みの前には休み中の分を注文して購入していた。
 肝油の容器は、地球儀を模した形であったり、後で貯金箱として使えるようなものもあったと記憶している。
 肝油は、鯨から作られると知っていたが、捕鯨が禁止になっても肝油なるものは作られていたようだ。

 しかし、中身を見ると昔の物とやや違う。昔のはピンク色の肝油であったが、今のは白いものである。
 また、昔のは外側が少し固かったが指で摘めば潰れるものであったが、今のは全体的に固い。
 食べてみても、やや固めのゼリーといった感じ。
 今の肝油は鯨を原料としないものであるが、栄養成分としては遜色の無いよう、いや昔よりも栄養価は高く作られているものかと思う。
 しかし、昔のような肝油をイメージしていた東人にとっては、少し期待はずれの肝油であった。


父の日のプレゼント

 娘が幼稚園に通っていた4歳の時、父の日のプレゼントを幼稚園で作って持ち帰った。  
 これがパパ?・・・とも思ったが、暫くの間、机の上に飾っていた。
 また、この作品の写真を撮り、自己紹介のページにも使わせてもらった。 
 
 娘が5歳の時には、お父さんの絵を描いたが、これは掲載に耐えられるものでは無かった。
 娘が小学生となった6歳の父の日に、娘から花束(?)をもらった。
 シダ、猫じゃらし、その他名前の知らない雑草の花。全て庭に生えていたもの。
 気持ちは嬉しいが・・・。
 
 捨てるわけにもいかず、花瓶にさして机の上に置いた。
 
 次の日、娘がこの花瓶の水を取り替えてくれたそうだ。
 しばらくの間、机の上に雑草の花瓶を置くことになった。


給食

 娘の小学校で給食が始まった。
 学校から貰ったプリントによると、給食の費用は1食220円。 安い理由の一つが、米代と牛乳代が国庫補助金で支給されていることらしいが、来年度はこの補助金が打ちきりになるらしい。 

 東人が小学生の頃の給食では常にパンが出たが、最近はご飯給食も有るようだ。 新居浜では、週3回はご飯給食、2回がパン給食とのこと。
 また、全国の郷土食を取り入れた「味巡り」や「バイキング給食」、異学年との「交流給食」、誕生日を祝いあう「誕生会給食」なども予定されているという。 

 昔は、紫のうがい薬(過マンガン酸カリウム)でうがいをし、肝油が配られ、給食の食器は金属製。脱脂粉乳のミルクとコッペパンあるいは食パンが常に出るのが給食と思っていた。
 今の給食は、昔とは違った風景となっているようだ。
 


小学校入学


 
娘もとうとう小学校に入学した。学校は近くの惣開小学校。入学式は4月8日で、当然、母親が付き添って入学式に参加した。
 後で聞いた話では、入学式には多数の父親も参加していたらしい。
 新居浜というところは、小学校の入学式にも父親が仕事を休んで参加するのだろうか?。
 
 惣開小学校の新入学生は80数名で、3クラス編成となった。80人以下だと2クラス編成となるらしいが、3クラスとなって、一クラスは30人弱となる。
 東人が昔通った小学校は、一クラス40人ほどで、7クラスあった。 それに比べると惣開小学校は小さい学校のように思う。
 クラスの名称は、松竹梅で呼ばれる。娘は竹組とのこと。 娘は、学校の授業が楽しいようで、毎日、学校に通うのを楽しみにしている。


入学準備


 娘も幼稚園を卒園し、春には小学生になる。
 小学校の制服などを買い、おばあちゃんからランドセルも送られてきた。
 2月に事前の説明会があり、母娘で出かけた。
 そこで、学校指定の「算数セット」を購入した。中には、コインやおはじきなどが入っていた。 これらの物に、一つ一つ名前を書かなければならないそうだ。 数が沢山あり、大変な事だ。
 そこで、困ったときのインターネット。検索して、名前のシールを販売している業者を見つけた。 入学セットというものを早速注文した。
 入学セットが届いた。「算数セット」のコインやおはじきは数が沢山ある。妻が大騒ぎしてコインに名前シールを貼っていた。
 小さなコインにシールを貼っていたが、やりにくそうだった。ピンセットを使ったら、とのアドバイスにも耳を貸さずに手で貼っていた。見かねて、ピンセットをもってきて側に置いた。
 東人も、おはじきのシール貼りをせざるを得なかった。ピンセットで摘んで貼っていったが、妻がコインに貼り終わる前に仕上がった。妻もピンセットを使ってみて、貼りやすいことが判ったようだ。
 しかし、このシール、学校で配られた算数セットにピッタリのサイズであった。
 このシール貼りの作業、日本全国で新入学児を持つ親が大騒ぎするものかも知れない。
 

 


リベルタンゴ

 
 東人がYO YO MA を知ったのは、エルガーとウオルトンのチェロコンチェルトのレコードを聞いてからであった。
 これは名盤であり、CDでも購入して聞いていた。この録音は古いものであり、ジャケットには若いYO YO MAの写真が使われていた。

 

  その後、テレビのCMでYO YO MA が登場することになった。
 だいぶ歳をとったように見えたが、今度はタンゴへ挑戦していた。
 ニュースステーションにも登場したYO YO MA の演奏が気かかり、YO -YO MA SOUL OF THE TANGO(ヨーヨー・マ・プイレズ・ ビアソラ)のCDを購入した。
 リベルタンゴという曲、リベルタ(自由)とタンゴを合成したタイトルであるが、今までのタンゴのイメージをうち砕く、ゆったりとした雰囲気でのチェロの響き。惹き付ける物があった。
 副題のヨーヨー・マ・プイレズ・ ビアソラは、今は亡きビアソラ:Astor Piazzolla(1921〜1992)の曲をYO YO MA が演奏したアルバムとのことであり、中には、ビアソラの1987年の録音に1997年にYO -YO MAが合わせて録音した「追憶のタンゴ」などが収録されていた。
 タンゴと言えば、ラ・クンパルシータが有名であるが、このCDにより今までと違ったタンゴのイメージが再構築された。


 その構築されたイメージがガラガラと打ち壊されていく。 従来のタンゴのリズムが大流行している。
 そう、NHKの「お母さんといっしょ」で歌われている「団子三兄弟」である。
 この歌については、その前から娘も歌っていた。変な歌と思っていたが大流行していると報道された。
 その後、スーパーマーケットに買い物に行くと、「団子三兄弟」の歌を流して団子を売っていた。
 娘が団子を欲しがり、団子を買った。
 他愛もない歌であるが、影響力は大きいようである。
 NHKの「お母さんといっしょ」の歌には他愛もない歌は多いが、この歌を作った担当者もこんなブームになるとは思っていなかったと思う。
 
YO YO MAによる新しいタンゴの紹介は、日本では「団子三兄弟」によりかき消されていくようだ。
 リベルタンゴがタベルダンゴ(食べる団子)になってしまった。
 

 


忍者屋敷

  東人の社宅を訪れた人が、この家を忍者屋敷と言った。

 古い社宅のため、開き戸は写真のような木製である。
 横棒の一つを動かすと、戸のロックが外れて開けられる構造の古くからある日本式の開き戸。 横棒は多数有り、余所の人はどれで開けるものか迷うようである。

 そのため、当家は忍者屋敷と呼ばれるようになった。
 
 娘は折り紙が得意である。二枚の折り紙で作る手裏剣も簡単に作れるようになった。
 手裏剣を星の代わりにして、魔法使いの杖を作ったりもしている。

 手裏剣の氾濫する家、やはりここは忍者屋敷なのだろう。