東人の新居浜生活インターネット見聞録使用機器


使用機器


 

デスクトップ

ノートパソコン

型番

98mULTi CanBe
PC−9821Ct16/F model B

PC98-NXシリーズ LaVie NX
PC−LV13CWDDAF1

CPU

Pentium(166MHz)

MMXテクノロジPentium(133MHz)

メインRAM
標準装備

16MB
取り外し

 32MB

増設RAM

 32MB I-O DATA NE-SIMXA-16M×2T
 +64MB BUFFALO EMW-P

メルコ NS8-64MP 64MB

HD(内蔵) 

  1.6GB

  2.1GB 取り外し
 Logitec LHD-NL6K/EZ 6GB 取り付け

HD(外付け) 

 2.1GB  I-O DATA UHDS-2.1G
+4GB  BUFFALO DSC-U4000

 −

CD−ROM 

内蔵 4倍速、4連装

内蔵 最大20倍速(平均14倍速)

スキャナー 

 CanoScan FB620S

 − 

ネットワーク 

 BUFFALO LGY-PCI-TXC

 イーサネットPCカード
ELECOM LD-CBL/TX 10/100BASE T 

ターミナルアダプタ

NEC

AtermiT45DSU

プリンタ

EPSON

MJ-800C

デジタルカメラ

FUJIFILM

FinePix1700Z
DS-7

 
 ノートパソコンは家で使うには使い勝手が悪い。
 キーボードとマウスをUSB接続して使用している。
 液晶画面は見づらいので、デスクトップのモニターを切替スイッチで切り替えて共用できるようにした。
 プリンタはネットワークプリンタとして共用しようとしたが、何故か設定ができず、これも切替スイッチで切り替えて共用している。
 ノートパソコンは電話回線によりインターネットと接続できるが、フレッツISDN利用のためシリアルコネクタでターミナルアダプタと接続し、これもデスクトップと切り替えている。
 同じISDN回線につないでも、ノートパソコンの方が表示が早く完了するようだ。通信速度より、パソコンの能力がインターネット速度を律速しているようで、ブロードバンドを導入するためにはパソコンも更新が必要のようだ。
 
 主にノートパソコンはインターネットに接続し、デスクトップはオフライン作業に使っている。
 
 





東人のパソコン歴

 
  最初にパソコンを使いだしたのは、1980年代初期だった。その頃は、会社のパソコンを使用していた。
 学校を出て就職した直後、各課に1台のコンピュータが配られた。皆が物珍しげに見たり触ったりしていた。
 その時、ある人が言った。「昔、電卓が各課に配られたことがあったけど、その時に似ている。今にこのようなコンピュータを一人が1台使う時代が来るだろう」。当時は信じられなかったが、今ではこの予言が的中している。  
 当時はベーシックプログラムの時代で、自分でプログラムを作成して動かすものであった。
 フロッピーディスクを入れたままでスイッチを切ったり、停電が起きたりするとフロッピーが壊れるという、やっかいなものであった。
 最初は先輩の作ったデジタイザでの入力データ解析プログラムの修正から始まった。
 次に、自分が電卓を叩いていた仕事を、パソコンのプログラムに置き換えた。長いプログラムを作り、ロール紙に打ち出しては、間違いを探して再度動かすという連続で、ロール紙に埋まりながらプログラムを作成していた。

その会社を退職するとき、プログラムの形で仕事を後任者に引き継いだ。苦労して作ったプログラムであるが、640Bのフロッピーディスク1枚に楽に収まるものであった。


 
 転職後、暫くして個人でパソコンが欲しくなったがなかなか手が出なかった。
 最初に買ったコンピュータは、PC9801−VX2。
 当時は最新のマシンで、会社で作成したファイルをフロッピーディスクで持ち帰り、帰宅後も仕事に使っていた。
 時代はMS−DOSに移り変わっていた。Basicプログラムも作成したが、同じ計算がLotusなどで簡単にできた。
 当時はフロッピーディスク立ち上げという時代であった。一太郎はVer.2だったと思う。
 RAMディスクを買い、フロッピーディスクの辞書をCashで読み込ませて使っていた。
 その後、外付けのHD(100M)を購入し、HDで立ち上げて使用していた。一太郎もVer.3に変わった。
 MS−DOSのコマンドも覚えた。バッチファイルを作成し、起動画面から種々のソフトを起動させるようにした。
 一太郎とLotusを駆使すれば、必要な仕事は何とかなった。

 転勤が決まり、仕事を引き継ぐときには、フロッピーディスクで約30枚ぐらいのデータが貯まっていた。


 新居浜への転勤の話があったとき、新たにノートパソコンPC9801NS/A340を購入した。HDが340MBで当時は大容量に感じた。これまで使用していたソフトなどをインストールして新居浜に持ち込んだ。これは会社で使用していた。
 これもMS-DOSのプログラムしか動かなが、使い慣れたソフトが動いたので別に気にならなかった。難点は、一太郎のVer.3が動かず、Ver.4を使用せざるを得なかった。Ver.4で作成したファイルをVer.3形式で保存して使用していた。一太郎のVer.3は、ジャストシステムの最大の傑作と今でも思っている。
一太郎もバージョンアップされると動きが遅くなって気になっていた。その点、Ver.3は応答が早く、余計な機能は無く、使い勝手の良い物であった。しかし、Ver.3はその後のハードには対応しなくなっていた。
 同時に、外付けのフロッピーディスクドライブを購入した。5インチと3.5インチの両方が使えるもので、過去のディスクデータを参照するのには欠かせない物となっている。 


 自宅のPC9801−VX2は古いパソコンであり、MS-DOSのプログラムしか動かない。それでも、使い慣れていた。
 花子の部品でサンタクロースの絵を張り付けて見せると、娘が喜んで自分でもサンタクロースやクリスマスツリーを表示させたりした。
 PC9801−VX2は、長いこと使っていたがフロッピーディスクドライブが壊れて使用できなくなった。
 修理に出そうとパソコンショップに行くと、修理すると高くつくというので、中古のPC−9801RXを購入した。
 そのパソコンショップで、新しいパソコンを見て欲しくなった。丁度、会社でもWindows95の動くパソコンを使い始めた頃で、自宅でもWindows95の動くパソコンが欲しかった。
 丁度その時、会社の休みに妻と娘が松山まで出かけることになり、鬼が居ない間に買いに行った。 PC−9821Ct16/Fとプリンタ:EPSON MJ-800Cのセットを特別価格で販売していた。それを購入した。
 購入後、組立終わってから妻と娘が帰ってきた。パソコンに気がついたのは娘であった。このパソコンにはディズニーの「熊のプーさん」と「ポカホンタス」のCDも付属していて、それを見せたら喜んで遊んでいた。

 購入したPC−9821Ct16/Fには、Wordが標準装備していた。本当は一太郎が装備されたモデルを希望していたが、パソコンショップが持ってきたのはWordのモデルであった。
 Wordモデルと知ったとき、一太郎モデルが欲しかったことを伝えたら、パソコンショップの女店員は、「この際、Wordに乗り換えたら?」といい加減なことを言っていた。
 その様なわけで、一太郎のソフトも後に別途購入した。ソフトも昔に比べて安くなっていると感じた。
 昔は、Lotus123などは約5万円ほどしたと記憶している。一太郎も3万円台だったと思う。今のソフトは1万〜2万円程度で販売され、性能は格段に向上している。
 購入した一太郎のユーザー登録を電話回線で繋いで行い、ついでにJust−Netにも加入した。
 これが東人の最初のインターネット体験であった。
 Just−Net経由の接続は、松山のアクセスポイントまで繋がなければならなかった。
 そこで、新居浜にアクセスポイントのあるマジカルサイトインターネットに加入した。
 その後、接続の遅いのが気になり、ターミナルアダプタを購入してNet−64に加入した。