[講演録]
会長 岡本 幸治
岡本です。今日は、最近のインドで起きている大きな変化のようなものを大きくとらえてみたいと思います。
1.日本人のインド観
このような話をするのは、一般日本人のインド観がどうも現代インドの変化を見据えたものではないということを危惧するからです。問題は二つあり、1つはマスコミ報道が「ふじやま芸者」のインド版であり、2つ目は「火山型」情報にあります。日本のイメージを日本にしかない「ふじやま芸者」に代表させるような報道、これで現代日本のイメージをバランス良く提供できるかといえば、とてもおかしいことにすぐに気づくはずです。実はインドに関してこういう情報が多いんです。たとえば、ガンジス川の沐浴、蛇が笛の音に合わせて踊る。これが現実でないかと言えば、確かに現実だが、インドがコンピューターソフトの輸出で大変な好成績を収めている、このような事実が見えてくるでしょうか。
また、「火山型」報道にも問題があります。火山というのは普段静かなときは誰も騒がないが、いったん噴火をし人畜に被害を与えるような異常な事件が発生するとマスコミが殺到する。この1年あまりを見てみると、インドに関してマスコミが取り扱った事件は@核実験ABJP中心Bカシミール問題である。これらは異常な事件であり、マスコミはセンセーショナルな事件を好むということを念頭においていなければ、かえって誤ったインド観をもたらすことになります。
2.経済自由化の決断-1991年
さて、インドは不変といわれてきたが、90年代に入って私の考えによると独立以来、いやインドの歴史が始まって以来の大変動をあらゆる面で遂げつつあります。
このような変化が起こっている原因は、1991年国会議派のナラシマ・ラオ内閣が経済面での自由化を決断したことにあります。なぜこのような決断をしたかというと、第1はソ連の崩壊によって経済援助が見込めなくなったこと、また第2に湾岸戦争が勃発し、ペルシャ湾に比較的近いインドへの観光収入・外貨が減少してしまったことにあります。このとき、保有外貨は10億ドル程度になり、1ヶ月の輸入代金が支払えないような状況に陥ってしまいました。このままでは国際的信用の失墜が避けられない。どうしても外貨を獲得するために、ラオ首相は追い詰められてやむを得ず経済自由化を決断したのです。
自由化のもっと構造的な理由は、インドが社会主義国ならぬ「社会主義型」社会であることに求められます。インドは民営企業も認めてはいますが、力点は公営企業・事業にあります。規制も少なくないのです。つまり、計画経済が抱えている問題が、インドを襲っていたといえます。これは91年になって初めて認識された問題ではありません。すでに80年代初頭には指摘されていましたが、本格的な自由化への取り組みはなされなかったという経緯がありました。
公営企業(電力会社など州営企業を含む)の問題点は、雇用が多く費用をかける割には儲けが少ない、もしくは赤字であるということです。インドの「鉄の大三角形」をなす政治家、官僚、労働組合の三者のもたれあい改革の契機をつぶしてきました。これらが、91年の自由化の遠因であるといえるのです。
3.経済自由化の光
自由化の成果をあげると、成長率に関して特にはっきりしています。自由化を開始したときこそ下がりはしましたが(0.5%)、その後7%台後半にもなりました。2年前にアジア金融危機の影響を受けて下がったとはいえ、去年でも5.8%あります。これはアジア諸国に比べ外貨流通の規制が残っていたので、ヘッジファンド等の影響を緩和できたことや短期資金が少なく外貨のすばやい引き上げに歯止めがかかっていたことが幸いしました。保有外貨は今では200億ドルの後半を維持しています。
所得の向上につれて、中産階級の層が厚くなってきました。テレビやビデオなど購買できるのは彼らです。また、彼らは高等教育を受けており、政治的意識も強い。いろいろな面で中産階級が力を持ちつつあります。彼らの欲求を満たすためのベンチャー企業は増えています。これらのダイナミックな経済の活性化は、インド人たちの自信につながっています。かつてインドのお金1ルピーは75円もし(現在約3円)一人当たりの所得は韓国よりも上でした。しかし、70年、80年代のアジア諸国のめざましい経済発展は、彼我の格差を逆転しさらに拡大させましたが、現在では彼らも経済回復を得て少しづつ自信を持ち始めています。
4.経済自由化の影
こういったよきことばかりを自由化が引き起こしているわけではありません。強い光は強い影を生みだします。自由化すると不可避なことに物価の上昇をもたらしインフレになります。インフレはまじめな給料取りや貧困線以下の階層の生活を直撃します。自由化以前は、生活必需品など誰もが必要なモノは低価格に抑える政策がとられていましたが、そのような政策を否定する自由化開始後は貧富の差がたいへん拡大しました。
また、道路、鉄道、港湾施設、電力のようなインフラの整備が需要に全く追いついていないのが現状です。
さらに、これは中国のような経済自由化を進めつつある国にもいえますが、公企業の整理がなかなかできていません。なぜなら、こういった企業は大変多くの人員を抱えており、彼らの首を切ると街に大量の失業者があふれ政治不安・社会不安に直結するからです。だから、公企業の大胆な整理はおいそれとできないのです。
5.経済成長と政治への影響
経済自由化はその他の点でも強い影響を与えています。政治に目を向けてみますと、日本と同様インドでも政治面で大きな変化が起こっています。
ご存知のように、日印の政治的共通点としては、どちらも議会制民主主義がとられており、長期にわたって一党優位の状態が続きました。日本の自由党にあたるのはインドでは国民会議派です。国民会議派は80年代後半から危機を迎え、今では野党になることも危なくなっています。今では、かつて全く相手にされなかったインド人民党が政権を持ち、多数を構成する連立政権の時代となっています。
政治状況における第2の顕著な特色としては地域政党の躍進があります。地域政党は、故小平修参与の調査によれば、去年の時点で60以上もあるということです。インドの今の連立政権と言うのも「ダース(政権)」といってもいくらい政党は乱立しています。今年の9月から10月にかけて総選挙がありますが、この状況は変わらないだろうと思います。
インドは独立して以来「世界最大の民主主義国」であることを誇りにしてきたけれども最近は政治的不安定が問題になっています。ラオ政権が崩壊してから三度政権が交代しています。最初の二つが1年足らずで崩壊して、次は1年1ヶ月、現在は政治的状況から秋の選挙まで暫定政権となっています。
地域政党の政権参加は国家的利害の主張ではなく、地域や党首個人の利害のみの主張をしているいうに思われます。民主化を質的に見ると、現在のインドの状況は必ずしもいいものとはいえません。
6.社会的変動の光と影
次に、社会的変動についてみてみたいと思います。経済変動と密接に関連しているのですが、ここ7、8年自由化が始まり、消費物資が格段に豊富になったことは街中を歩くとすぐ分かります。例えば、トイレットペーパーやペットボトルのミネラルウォーターなど旅行者が使っていたものを庶民でも使うようになっています。
そういった動きとともに、金がすべてという考えを持つ人々が増えました。また、テレビの影響が目立つようになってきました。このことはとくに若者たちの間に、低俗な消費文化の浸透、インド文化の伝統(人間の生き方の根底となている家族や地域共同体)の否定として現れてきています。インドの週刊誌(インドで誇れるのはジャーナリズムと司法です)では、年寄りの面倒を全く見ない家族の話や女性のヌードなども紙面を飾るようになってきました。
また、自由化の進展とともに、公害も蔓延してきています。都会での排気ガスなどすさまじくなってきています。田舎からの人口流入が生活環境の悪化や犯罪率の上昇を生み出している面もあります。
7.日本とインド
最後に日本とインドの関係について述べて終わることにします。
冷戦時代、日印の関係はきわめて疎遠でした。それは、日本は米国側に属していて、インドはソ連の方に近づいていたからです。冷戦が終わった90年代もなおこの関係は変わっていません。インドは日本に対して好意的な見方をしていますが、日本のインド観は先に述べたように発展途上国のひとつとしてしか見ていません。
20世紀が終わろうとしている今、これから日本が世界と外交をしていく上で、アジア諸国との外交は再構築していかねばならない課題となっています。これまではアジア外交というと中国しか念頭にありませんでした。中国に対してはもっぱら歴史認識において「謝罪」を繰り返すばかりでした。東南アジアについても経済的な結びつきだけでした。つまり、われわれのアジア観はかなり限られたものなのです。
21世紀の初頭、日本の安全保障上の問題を考えただけでも、短期的には北朝鮮、中・長期的には中国との付き合いが問題となってきます。特に、中国との関係をもっとバランスの良いものにするためにはインド(南アジア)を重視したらいいと思います。
昨今の中国のやや高飛車な態度を力の面で押さえていけるのは経済大国日本と軍事力があるインドのみです。
また、ちょっと前まで「アジアの世紀」という言葉がさかんに使われていましたが、通貨危機を契機に全く言われなくなってしまいました。然し、私はアジアの活力そのものが失われたわけではないと思っています。われわれの取り組み方次第で、21世紀を「アジアの世紀」にすることは可能です。そのためには、経済偏重ではなくて、豊かな精神文化の遺産を持っているインドがカギを握ってきます。人間はどう生きねばならないのか、本当に生きがいのある人生とはどういうものなのか、といったバランスのとれた人間の生き方を回復していく、経済発展にそういう背景をもったアジアの世紀にするために、インドに学ぶ点は多いように思います。
以上。駆け足になりましたが、私の話を終わらせていただきます。ご拝聴ありがとうございました。
今回の日印友好協会の総会はあいにくの雨の中、40名近くの参加により無事終わることができました。
14時15分に始まり、幹事の田中正人氏が司会を務め、始めに、JAIFAの活動とこれからの方針について戸澤事務局長から報告がありました。。(⇒下に採録)会計の鈴木靖彦氏が会計報告をし、これについて監査の茅田泰子さんが承認しました。その後、戸澤局長が会則の改正を提案し、討議が行われ、若干の修正の上、案が承認されました。(今回のメールに添付)
総会は約40分で終わり、その後岡本会長による講演が行われました。
事務局長 戸澤健次
1996年(平成8年)に日印友好協会(JAIFA)が産声を上げてから、早くも丸3年経ちました。JAIFAのホームページ(http://www.dokidoki.ne.jp/home2/yasuhiko/nichiinkyoukainohomepage.html)を充実させねばと思いつつ、今日に至ってしまいました。これはひとえに事務局をあずかる私に責任があります。今回、局員の協力を得て、ホームページの体裁を整えることになり、手前味噌ながら喜んでいる次第です。インターネットでは、ぜんぜん音沙汰なしの本会ではありましたが、この3年間というもの、それなりにいろいろ活動を展開してまいりました。これからは、インターネットの世界でも交流が少しでも広がってくれればとの願いから、このホームページでJAIFAの主だった活動を紹介し、今後の活動計画をお知らせしようと思います。
1996年8月に結成して以来、JAIFAは会の目的である民間の友好促進に向け、インドを訪問し、インドからの訪問団を受け入れてお世話をし、インドについて学び親しむためにセミナーを開催し、インド料理の会を開催してきました。
@ インドへの訪問では、1997年12月に非会員も含めて17名がインド各地を訪問し、交流を深めました。この後、1998年9月にも10名の一行がムンバイ、デリーを中心に友好の旅を行いました。インド側でもJAIFA India というグループが組織され、現在公式に登録団体への手続き中とのことです。団体での旅行以外にもJAIFAのメンバーが単独で訪印したことも何回かあります。今後も、さらに日本とインドの心理的距離が近くなることを念願致します。インドからの訪日につきましては、これまでインド側のJAIFAの中心者であるMr. Rakesh Dwivedi 及び Mrs. Sunita Dwivediのお二人だけに、1998年と1999年に2度訪日していただきました。これからさらに訪問団の受け入れを推進したいと考えています。
A 講演会の開催では、JAIFAは、これまで数回のセミナーを開催してまいりましが、実施回数が当初の予定より少なく、会員のみなさに対しても事務局として心苦しいものがあります。平成10年度も年間3回ほどの講演会を主催したいと念願してまいりましたが、この1年間に1回のみになってしまいました。次年度には予定通り3回実施したいと考えています。
B インドの食文化を考える会は、「よんでんプラザ」のご好意で、6回のインド料会を開催することができました。その後、よんでんプラザが利用できなくなり、第7回以後は、松山市総合福祉センターを会場として開催することとなりました。次回のインド料理会は、1999年10月に行われる愛媛県主催の国際祭りにインド料理店を出す形で行う予定です。
2 1999年度(平成11年8月1日から12年7月31日)の年間活動スケジュール
@ 講演会
8月1日 「現代インドの光と影」 岡本幸治大阪国際大学教授
9月あるいは11月 「チャンドラ・ボースとインド国民軍」 国塚一乗氏(予定)
1月あるいは3月 演題・講師未定
A インドの食文化を考える会
10月 愛媛県国際祭りにインド料理店で参加
2月 第8回インドの食文化を考える会(予定)
5月 第9回インドの食文化を考える会(予定)
B インド訪問
9月 インド訪問グループを後援
12月 訪問団派遣
2月 インド訪問グループを後援
C インド側来日
2000年6月 インドから訪問団来日
このほか、JAIFAは1999年よりニューズレターを発行し始めました。年間4回の発行予定で、インターネットでもお知らせする予定です。
同類のボランティアグループがあるのにまたなぜ新たにグループを結成するのか、とかなぜ松山市であって東京や大阪でないのかといった疑問は当然起こってきます。実際、インドの友人の中にもそういう問いを発した方がいます。私たちは日印協会のような伝統のある団体に敬意を表します.事実私たちの何名かは日印協会の会員でもあります。私たちは同類の他の団体とも親しく協力を交換しています。とりわけ、日印親善協会とは同じころに発足したこともあって、親しくお付き合いさせていただいています。
私たちは、こぢんまりとしたグループではありますが、自前のヒューマンネットワークで、大地に両足を踏まえたボランティア活動を展開したいと念願し、愛媛大学を拠点として、松山を中心に日印の民間レベルでの友好促進に励みたいと願っています。
(総会報告より)
日印友好協会では次の要領で第10回愛媛国際祭りに参加することにしました。前年に引き続きの参加です。なにとぞ、準備の手伝い、当日の参加よろしくお願いします。
日時:10月24日(日)10:00〜16:00
場所:愛媛県国際交流センター(松山市堀之内)庁舎及び駐車場
出し物の予定:チキンカレー
チャイ・クッキー
バザール
物品の展示
なお、売上による収入は、ユニセフに寄付されます。
講師:国塚一乗氏
日時:10月17日(日)13時〜
会場:愛媛大学法文学部大会議室(法文学部8階)
題名:「インドの独立に関して日本の果たした役割」
国塚氏は元日本陸軍中尉で、インドに決定的に重要な役割を果たした自由インド仮政府代表チャンドラ・ボースに直接接した数少ない生証人とも言える方です。今回の講演では、インドの独立前のインドと日本の関係やボースについて語っていただきます。
国塚氏には『インパールを超えて』(講談社)という著作があります。当時の背景については、『深海の使者』(吉村昭、文春文庫)『黎明の世紀』(深田祐介、文春文庫)などが手に入れやすいと思います。
国塚氏やボースについては、今後ホームページに掲載する予定です。
1. 編集部では、原稿・イラストの投稿をお待ちしております。題材はインドと読者とのつながり(かけはし)に関するものなら何でも。字数等は編集部にご相談ください。
2. 会費の納入、住所変更の通知は事務局までできるだけ早くお願いします。
3. 国際祭りや講演会など、これからの活動には少しでも人手が必要です。手伝える方がございましたら、下記事務局まで連絡お願いします。
4. 今回は、準備に時間のかかった総会の後ということもあって、8月は打ち合わせを休みました。実施した2回については次の日程で行われました。
1. 9月9日(木) 戸澤研究室
2. 9月21日(火) 戸澤研究室
5. 巻頭の講演録は、総会における岡本会長の1時間半のお話の内容を編集部がまとめたものです。岡本会長の語り口がうまく表現できていないきらいはありますが、話の大筋を味わってください。
(Y)