独在論の誘惑 11:「その権利、誰がくれたの?」
 
 

英利政美「人の肉体は、その機能のすべてを言語化し、唯物論の用語によって、あますところなく記述することが出来る。肉体も機械にすぎない。物理的な制約が、人の進化をとどめているのだとしたら、それは人という種の終わりを、いもしない神によって決定づけられているようなものだ。人の中に刻まれた情報は、その個体が意識を受けて得たものだけではない。人という種が連綿と連なり続け、情報をその中に蓄積してきた。それは、共有されねば何の意味もない、ただのデータでしかない。人は進化出来るんだよ。自分の力で。そのためには、まず自分の本当の姿を知らなくてはいけない。君は自分を何だと思う? 人と人とはもともとつながっていたのさ。僕がしたことは、それを元に戻しただけにすぎない。君がそれを引き起こしたんだ、玲音。だから君は、好きなことをしていいんだ」
 

岩倉玲音という少女は肉体を持ちつつも、リアルワールドとワイヤードとをつなぐプログラムです。玲音はありすに自分がプログラムに過ぎないことをありすに明かしますが、ありすはそれでも玲音が肉体を持った実在であることを納得させました。ここまでが前々回での引用の部分です。これに対して、この英利政美という人物は玲音そのものをワイヤードの世界から肉体を通じてリアルワールドに具現化させた張本人です。上の英利のセリフには、彼が玲音に託した野望が端的に現れています。つまり、世界は人の造った言葉によって記述され得る、故に人によって支配され得る、というわけです。

 英利の頭の中には自分がどうして存在しているのかという疑問がありません。すでに私は独在論においては、自然によって造られたはずの人間が自然を忘れ、自らが第一の自然として意識されていることを指摘しましたが、英利のこのセリフにはその態度がはっきりと見て取れます。確かに英利は単なる個人として世界のすべてを支配できると考えてはいません。「進化」という言葉がそれを示しています。しかし、彼はこの「進化」の主語を自分に置き換えています。つまり、「人は進化出来るんだよ。自分の力で」というわけです。彼にとっては人間のそして自我の全能な者への進化こそが理想なのであり、岩倉玲音という存在はその理想の具現そのものであるのです。このような考えを持つ英利にとって、肉体も自我意識の支配の対象であり、感覚を通して時として自我を制約する肉体は本来は「いらないもの」、世界を支配しコントロールする自己の意識のみが本源的であるということになります。独在論の理想がここに現れているといってよいでしょう。

 そんな彼にとってありすの登場は予定外のものでした。ありすによって肉体のリアリティに気づいた玲音に対して、英利は再び誘惑の言葉を投げかけます。前々回引用した部分の終りから引用をはじめて見ましょう。
 

玲音「どうして? どうしてかなぁ?」
ありす「怖いからだよ。怖いから、どきどきしてる」
玲音「だって、ありす笑ってる」
ありす「うん、そうだよね。でも怖いの。ずっと怖かったの。なんでかな?」
玲音「なんでだろう?」

(突然、上から英利の声がする。しかしその声と姿は玲音にしか分からない)

英利「肉体を失うことが怖いのさ。感覚だって、脳の刺激でどうにだって得られる。いやな刺激なんて、拒絶すればいい。そして、気持ちのいいことだけ選べばいいのさ」
玲音「そうなのかな?」
  ありす「玲音、誰かと話してるの?」
英利「その子が好きだったら、どうしてつなげてあげない?」
玲音「わかんない」
  ありす「玲音、誰と話してるのってば? 玲音!」
 

独在論にとって時として自己の意識に苦痛を与え、それを制約する肉体は不要な存在です。その考えからすれば、本来、肉体を通じて得られる感覚は「脳の刺激でどうにだって得られる」ものであり、「気持ちのいいことだけ」選べば良いものです。私が独在論をよくテレビを見る人にたとえてきた訳がお分かりでしょう。英利は玲音に対してありすを「どうしてつなげてあげない?」と尋ねます。玲音は「わかんない」とだけ答えますが、ここに唯一の他者であるありすの存在が玲音に影響を及ぼしていることが分かります。ありすは「私にとってのあなた」だけでなく「あなたにとっての私」を意識させる唯一の存在だったのです。すでにここに独在論の誘惑はほころびを見せていますが、玲音は続く英利への問いかけで独在論の立場に決定的な一撃を与えます。
 

英利「バグってるね。いいよ。時間をかけてデバッグしてあげるからね。さぁ玲音、おいで」(用語解説:「デバッグ」=バグを取り除く作業)

(突然、玲音の上からから英利の手が出現する。この手はありすにも見える 驚いて叫び声をあげる ありす)

玲音「わかんないの。あなたのこと。神様」
   ありす「神様と、話してるの……?」(おびえた声で)
英利「わからないのは、何だっていうんだい玲音?」
玲音「あなたが出来たことは、ワイヤードからデバイスを開放すること。電話とかテレビとか、ネットワークとか、そういうのがなくちゃ、あなたは何も出来なかった」
英利「そうさ。それらは人間の進化に伴って生まれたものじゃないか。最も進化した人間は、それにより高い機能を持たせる権利がある」
玲音「その権利、誰がくれたの?」

(玲音の指摘に、顔をひきつらせる英利)

玲音「地球の固有振動にシンクロさせたコード(シューマン共鳴ファクター)を、プロトコル7に組み込むことで、集合的無意識を意識へと転位させるプログラム。それ、本当にあなたが考え出したことなの?」
英利「何をいいたいんだ!? まさか、まさか……本当に神がいるなどとぉっ!!!」
 

 最後の英利の叫びに独在論の誘惑が敗れ去ったことが見て取れます。以前紹介したビューティフル・ドリーマーではあたるが他者であるラムの存在を求めたことで誘惑が否定されたのですが、ここでは単にそれだけではなく、自己を生み出した自然の存在が示唆されることによって、それが退けられます。「あなたにとっての私」を自覚させる他者は肉体を通じて「あなたも私も共に生み出している何か」へとつながっていたのです。

 玲音の問いかけに驚いた英利は恐らく今までこの「あなたも私も共に生み出している何か」を意識したことがなかったのでしょう。その後の彼の狼狽ぶりがよくそれを示しています。
 

英利「何をいいたいんだ!? まさか、まさか……本当に神がいるなどとぉっ!!!」
玲音「どっちにしろ、肉体を失ったあなたには、もうわからないこと」
英利「うそだ! 僕は、僕は万能なんだよ! 君をこのリアルワールドに、肉体化させてあげたんだぞっ!! ワイヤードに遍在していた君に自我を与え、それに……」
玲音「わたしがそうだとしたら、あなたは……?」
英利「僕は、違う! 僕はぁっっ……!!」

(英利の叫び声と共に、彼の肉体が暴走しつつ具現化する)

玲音「ワイヤードはリアルワールドの上位階層じゃない」
英利「どういうわけだぁーっ!!」
玲音「あなたは、確かにワイヤードでは神様だった。じゃあ、ワイヤードが出来る前は? あなたは、ワイヤードが今のように出来るまで待っていた、誰かさんの代理の神様」
英利「代理だぁー!? うそだぁーっ!!!」

(英利の醜く増殖する肉体が、玲音とありすに襲いかかる。それに対し冷静な玲音)

玲音「あなたには、肉体なんか無意味なんでしょ!!」

(玲音の力で次々とコンピューターの機器が襲いかかり、英利の肉体を封印した! 最後のあがきを見せる英利に、ディスプレイをたたき込んで、とどめをさす玲音)
 

私はこの暴走し醜く増殖する英利の肉体に人の造ったものの限界を感じます。それは自然のバランスを逸して暴走するならば、必ず醜いものに転じます。人工的なものの氾濫がいかに不自然であるかはすでに前回に述べたところですが、その背後にある人間の社会的な力の増大は人間の造った社会も人間自身も醜く増殖させつづけているのかもしれません。

 玲音に対する独在論の誘惑はまだ続くのですが、次回は再び私たちの社会に目を向けて、このような独在論の理想を求める意識がいかに増殖しているかを考えて見ることにします。
 
 

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