天国への扉(3)


  時は平成、日本人にとって最後の戦争からすでに五十年以上の歳月が流れていた。人々の生活は豊かになり、日本は貿易黒字やそれによる円高に悩むまでになった。しかし、かつて戦場に赴いた若者もいつの間にか老人となり、高齢者の増加が社会問題となる一方、彼ら自身は社会の中で目立たぬ存在にされていった。多くの者は家族から離れ、独りとなった。ある者は家族に拒まれ、またある者は自ら家族を遠ざけた。社会は彼らを養うためにそれなりの努力を尽くしたが、彼らの得たのは少しばかりの年金と孤独だけだった。そんな中で南の島で余生を送ることが人生の最後の選択技の一つとなった。強い円を老人福祉に生かすと共に、途上国での雇用を促進しつつ外国人労働者の日本国内への過度な流入を防ぐことが政府の意図であった。
 このようにして政府の援助を受けながら民間の組織を中心にした老人受入れのための施設が作られた。その歩みは決してはやくはなかったが、南の島での生活を希望する老人たちの増加によって、確実に進んでいた。幸い南の島の気候は老人たちにとって決して悪いものではない。しかも、ここではいまだに家族というものが生きていた。
 その老人もそんな南の島を望んだ老人たちの一人である。他の多くの老人たちの場合と同じように彼にとってかつての日本での出来事はもはや無関心な過去となっていた。会社のことも、そして家族のこともである。けれども、彼は普通の人々とは違う過去を持っていた。彼はかつてこの島へ来たことがある。しかし、それは人殺しのためだった。戦争という名の過去がこの島と老人との間に横たわっていた。これが彼にとってただ一つ無関心でいられない過去だった。
 実は彼のこの島での滞在は一時的なものとされていた。というのも、南の島での生活を希望する老人たちの増加に応じて新たな施設の建設が進められていたのだが、その増加に施設の数が追いつかず、彼らのためにこの島のような間に合わせの小さな癒しの場が作られていたからである。
「村上サン、モウアナタダケデスカラ。モウスグ新シイトコデキマスカラ。」
「気にせんでください。私はここで十分ですから。」老人は答えた。
 ここでこの老人の世話にあたっていたのはこの看護婦ともう一人、担当の医師だけだった。彼は中国出身の青年医師で、あの天安門事件をきっかけにこの島に来たとのことである。彼はカトリックの神父でもあり、どうもその関係でここまで逃れて来たらしい。彼はかなり日本語もうまく、老人との会話にほとんど苦労することがなかった。恐らくかなりの期間日本に住んでいたのであろう。

 何日かが過ぎた。時々スコールがこの島を襲ったが、概して気候は穏やかで、ここでは時の流れを感じることがなかった。
「ご気分はいかがですか?」青年医師が老人に尋ねた。
「ええ、いいですよ。特に変わったこともないですし、ずいぶんここにも馴染みましたから。」
「安心しました。」
「コノ前ヨリ、元気、ナッタミタイネ。」看護婦さんが老人に話しかけた。
「マリアさんがいるから、大丈夫。心配NONO」老人は彼女に笑って見せた。
 ここでの生活は三人だけである。彼女はタガログ語であろうか、現地の言葉と英語が話せたが、ここではもっぱら英語混ざりの日本語を話していた。中国人の先生も英語は話せるのであろう。彼女との会話では時々英語を話していた。しかし、老人にもわかるように二人はできるだけ日本語で会話を交わした。結局、ここでの公用語は少し不器用な日本語だったのである。
 このように南の島での生活は老人にとって決して不快なものではなかった。しかし、彼にはただ一つ馴染めぬものがあった。それは祈りである。医師の先生と看護婦のマリアさんの二人は敬虔なカトリックであったが、老人はカトリックはおろか、仏教を含めた宗教そのもにそれまであまりに無縁であった。彼にとって宗教とは押しつけがましいものであり、時々人々の争いの種になる厄介なものに思われたのである。二人はこのことを気にしてか自分たちの信仰を老人に勧めたり、ましてや押しつけたりすることは決してしなかった。若い先生は時々神の名を口にしたが、それは単なる言葉の慰めに過ぎなかった。しかし、このことが老人をかえって不安にしたのである。これはかつて老人がこの島にいたことに対する負い目によるのかもしれない。
『この人たちは皆、祈ることを知っている。けれども私はそれを知らない。かつて私がこの島に来た時、ただ彼らを怒鳴りつけ、時にむち打ち、命令するだけだった。私はこの人たちについて何も知らない。』老人はそう思った。

 島での生活に慣れるに従って、老人は島の中を歩き回ることが多くなった。島の広さは老人の足でも一日で一周できるほどの大きさだったし、それが自分の健康のためにも有益だと思われたからである。はじめのうち老人の島での散歩は一定の道筋を持たなかった。彼はかつての思い出を手探りで探り出そうとあちこち歩き回った。いちおう看護婦のマリアさんに大まかな行き先を告げて出るのだが当初の予定と大きくずれることもしばしばだった。幸いにも彼は年のわりには足腰がしっかりしていたので、それで健康を損なうことはなかったが、若い先生やマリアさんにはたびたび心配をかけた。一時、先生は老人に徘徊の癖があるのではないかと疑いを持つほどであったのである。はじめのうち先生は老人を見つけるのに苦労したが、次第にその散歩の習性が分かるようになった。日ざしの強い南の島のことであるから、老人が長い間直射日光の当たる所を歩くことは決してない。それでも老人はたびたび海に出た。老人の目的地はいつも波の音が聞こえる場所であったのである。このことを理解すると先生は老人がいなくなると島全体が見渡せる小高い丘に立つようになった。また、老人の方も道に迷ったり遅くなったりした時には、進んで目につきやすい所に出るようにした。だが、このようなお互いの配慮も必要とされたのははじめのうちだけだった。いつの間にか島の地理については老人の方が先生よりも詳しくなっていた。
 その日も老人は外へ出た。灌木の枝を杖にして、マリアさんに行き先と帰る時間を告げるといつものように老人は島の深い緑の中に入っていった。実は老人は歩きながら自分たちの昔の痕跡を捜し歩いていた。かつての銃弾の跡や兵士たちの遺留品があるのではないかといつも目を凝らしていた。だが、その一方、彼はかつての戦友の遺骨が見つかるのを本当は恐れていた。それはすでに故国と無関係となった老人にとってその遺骨を日本へ持ち帰ることができなかったからでもあるが、それよりも彼らが今の日本に絶望してしまうのを恐れたからでもあった。
『私の虚しさを彼らに知られたくない。』老人はそう感じていた。
 幸いにもかつてこの島には遺骨の収集団が来たとのことで、老人の通れるような所に骨は残っていなかった。だが、このことも彼が戦友の遺骨を無意識のうちに避けていたからかもしれない。それでも、かつての戦争の跡を目にすることは時々あった。そんな時に老人はそれに向かって手を合わせ、しばらくそこに止まるのだった。けれども、彼は敢えてそれを持ち帰ろうとはしなかった。一度それを手にしたことがあったが、老人はそれをすぐ元に戻し、見つけたままにするために土をかぶせるのだった。老人はいつも自分の過去に無力であった。
 老人に対して島の自然はいつも変わらず照り輝いていた。強い日ざしに照らされた植物たちは日本のそれよりはるかに緑濃く、力強く感じられた。そこにはまた、日本では見られない大きな虫たちが動き回り、自分たちの生活を守っていた。四季のない島では動物たちも植物たちも休むいとまがない。一年中、植物たちは太陽の日ざしを受け続け、動物たちは食物を探し自らの身を守るために動いている。けれどもそこには人間社会とは独立した一つの秩序が保たれていた。彼らがいかに残酷な自然の掟の犠牲になろうとも、その残酷さは老人の体験した戦争のそれとは異質なものだった。
『自然はかくも変わらないのに、何故人間は何もかも変えようとするのか?』老人はそう思った。『人間は何もかも変えてしまおうとする。時として変えるべきでない自然まで変えて、結局それを壊してしまう。そのくせ自分自身が変わることにはほとんど関心を払わない。今の生活がいつまでも続くかのように毎日今に追われている。けれども、ひとたび自分に変化が迫ってくると、水をかけられた猫のように慌てふためく。とにかく人間は変わらないで、今のままでいたいんだ。だが、私の友たちは南の空の下で朽ち果て、今は消えている。生き残ったこの私さえ年老い、余生をながらえるためにこんな所に来てしまった。変わらないものなんて何もない。』
 老人の思いには出口がなかった。
 老人は少し疲れたがその歩みを止めなかった。止まることは彼にとって苦痛だったからである。歩いていれば、出口のない思いにさいなまれることはなかった。
 しばらくすると海に出た。いつも変わることのない波の音が老人の心を慰めた。それは世界の呼吸のように彼には思われた。その音がある限り、自分も世界も生きているのだと感じられたのである。

 夕方、老人が部屋に戻るとすでにマリアさんが食事の支度を始めていた。
「遅カッタ、チョット心配シタデス。」
「すいません。もうこんな時間ですか。」老人は彼女に対して頭を下げた。
「OK・OK。村上サン・元気ダカラ。」マリアさんは陽気に答えると、すぐに台所に戻っていった。
『もともとここにいた人たちは彼女のように陽気に暮らしていたに違いない。確かに生活は楽ではないし、危険も多いが、かつて私たちがやったような馬鹿なまねはしなかった。何故、日本人は彼らの生活を侵し、人殺しまでしてこの島を自分たちのものとしようとしたのか?』
老人はまた出口のない思いに捕らえられそうになった。しかし、その時マリアさんの声がした。
「村上サン、食事・用意デキタデス。」

 その夜、老人は若い先生に尋ねかけた。
「どうしてあなたがたは私のような日本の年寄りの世話をするようになったのですか?」「別にお金のためじゃないですよ。」先生は笑って答えた。「必要だから、誰かがそれを望んでくれているからやっているんです。」「誰かとは?」
「あなた、そしてあなたをここへ導いてくださった神様のためです。」
老人は先生の言葉の意味が分からなかった。「でも、あなた方は日本人に対してあまりいい印象を持たれていないんじゃないですか?」老人は再び問い返した。
「ええ。」先生は軽く答えた。「でも、日本人も人間ですからね。イエズス様は『汝の敵を愛せ』と説いておられます。村上さんがどう考えるかはわからないけど、これはいい方法ですよ、復讐のためのね。」
「復讐!?」老人は裏返った声で問い返した。「ええ、そうじゃないですか。何しろ愛することで復讐の必要はなくなるんですから。」先生の顔はあい変わらず笑っていた。老人はしばらくキツネにつままれたような表情をしていた。

 その夜、島はいつになく静かだった。老人がいつものとおり寝台に就く頃、看護婦のマリアさんもそのそばにある小さな小屋に入っていった。そこには苦悩の表情で下を見つめているイエズスの姿があった。彼女はそこで毎日老人のために祈り続けていたのである。「誰かが私のために祈っている。」老人はそう感じた。しかし、彼はその意味を理解できなかった。
 
 

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