天国への扉(4)


ゴー・・・ゴトゴト・ゴトゴト・・・

 老人が目覚めるとそこは列車の中だった。田舎のローカル線であろうか、それはどことなく旧式の乗合列車で、乗っている人々もまばらで口を開く者は誰もいない。列車は杉の生い茂った山合いを通っていたが、あたりは夕暮れなのか大地に残った淡い光が山の影を際立たせていた。
『いったいここはどこなのだろう? また日本に戻ってしまったのだろうか? それともまだ夢の中にいるのだろうか?』意識がはっきりするにつれて老人は不安になった。

  ガ -------------

その時、列車の走る音が変わった。
『鉄橋か?』彼はそう思った
列車はあいかわらず谷間を走っているようであったが、鉄橋を走っているらしいその音はいつになってももとに戻らなかった。夕暮れの淡い光はいつの間にか夕闇に覆われ、近くにある杉の木立がぼんやりと目に映るだけになっていた。
「あっ! こ、これは・・・」老人の口から言葉が漏れた。何故なら、彼がよく目を凝らすと列車は谷間を渡っていたのではなく、杉の立ち並んだ山の壁に沿って谷底へと向かっていたからである。そこには谷の底の終わりまでとぎれることのない鉄橋が敷かれていた。老人を乗せた列車は地面の上に敷かれたレールの上を走っているのではなく、空中を山の壁に沿って延びる鉄橋の上を走っていたのである。
 しばらくすると谷底の奥に赤い光に照らされた小さな駅のホームが見えてきた。列車はしだいに速度を落としたが、何かアナウンスがされるわけでもなかった。誰もがそこで降りることを義務づけられているかのようだった。
 列車が駅に着いた。人々は申し合わせたように席を立ち、列車を降りていった。
『行くしかないか。』老人はそう思った。
乗客はあいかわらず無口であった。たった一つ真っ赤に輝くホームの裸電球だけが老人を出迎えた。駅には駅員の姿はなく、渡すべき切符さえもない。駅を出ると、すぐそばに山が迫っていた。そこには夏草が生い茂り、どこにも道は見いだされなかった。
『どうしたことだろう。』
老人は迷いながらも先を行く人々のあとについていった。線路に沿ってしばらく歩くと、ほのかに赤い光を漏らしている洞窟が目についた。
『あそこに入るのだろうか?』
老人は他の人々と同じようにその中へ入っていった。
 洞窟の中はほのかな赤い光で満たされていた。それはさっき見た電球の輝きのように鋭いものではなかった。しかし、その赤はホームのそれと同様、濁った血のような黒っぽい赤色だった。しばらく行くと、幾つもの分かれ道があり、その向こうに幾分広い空洞が広がっていた。先を行く人々はそれぞれに分れて行き、それぞれの空洞に向かっていった。『どこに行けばいいんだろうか?』
老人は完全に迷ってしまった。仕方なく彼はそのまま真直ぐに洞窟の道を進んでいった。 どれだけ歩いただろう、老人がもとの道へ引き返そうと思った時、遠くの方から人々の歌う声が聞こえてきた。

 ♪ 月月火水木金金〜

彼は思わずその歌の聞こえる小道へと入り込んだ。
「あー!!」
老人はあまりのことに声にならない声を発した。何故なら、そこに見たのはかつて南の島で自分と共に戦い、そして死んでいった仲間たちだったからである。彼らは手に手に鋤を持ち洞窟の乾いた地面を耕し続けていた。
「おーい・・・」
老人は声を上げて彼らに駆け寄ろうとした。その時である。
「入るな!」
突然、後ろから老人を怒鳴りつける声がし、次の瞬間彼は地べたに押えつけられた。
「行くんじゃない。ここはお前の来る所じゃない。」
「あんた一体何者じゃ!?」老人は後ろを向くとこう叫んだ。
「俺か? 俺は朴。ついこの前までこの地獄の管理人をしとった男じゃ。」
「地獄! ここは地獄なのか!?」
老人は目を吊り上げその男に問いただした。「そうだ。ここは地獄だ。じいさん、昔の仲間に合いたいのは良くわかるが、こっから先は行ってはならん。」その男は必死の形相で老人を引き止めた。
「どうして、どうしてなんだ!? 」老人は更に彼に問いただした。

しばらくして老人が少し落ち着くと、その男はおもむろに語り出した。
「突然のことでじいさんにゃ信じられんことだろうが、ここは正真正銘、地獄の中だ。お前と一緒にこの洞窟の中に入ってきた連中は地獄に呼ばれてきた奴らで、生きてる間にろくでもないことをしてきた連中さ。俺はお前のような人間がそんな奴らの中に紛れ込むんじゃないかと思ってずっと待ってたんだ。」「どういうことだ?」
「話せば長くなるんだが・・」その男は少しためらったが、再び話を始めた。
「俺はもともと日本の奴らに連れ出されて働かされ、殺された朝鮮人だ。」
「朴さん?」老人はさっきのその男の言葉をを思い出してそういった。
「ああ。俺はお前ら日本人にいたぶられた朝鮮人だ。俺はそのために死んでから神様に願って、ここの管理人をさせてもらったんだ。日本人にむち打たれた者として、あいつらをいたぶり返してやろうとな。そして何十年も彼らをいたぶってきた。ところが、ついこの前とんでもないことに気づいたんだ。」
「とんでもないこと?」
「ああ。」朴さんは再び話を続けた。「ある時のことだ。俺はあまりにも奴らをいたぶるのが退屈になったんで、しばらくの間休むことにしたんだ。休んでいるいる間、あいつらがどうするかを見てやろうと思ったんだ。驚いたよ、本当に。何も変わらないんだよ。連中、俺がいなくたってああやって働き続けてるんだ。」
老人は再び昔の仲間たちに目を向けた。
 ♪ 月月火水木金金〜
さっきと変わらない歌声が洞窟の中に響いていた。その中にいる誰もこちらにいる二人に気づいている様子はない。
「どうだ、すごいだろう。あいつらはあいつらなりに悩んでたんだ。償いをしてたんだ。神様に赦して貰おうってな。だが神様はまだ赦しをくださっていないようだ。」
「どうしてなんだ?」老人が口をはさんだ。「お前も日本人だな。」朴さんは一瞬、軽蔑したような目で老人を見た。「日本人ってやつは努力すれば何でもできると思ってる。たとえそれが無駄な努力でも、自分を痛めつけて何かをすれば何とかなると思っている。だが、そうじゃないんだ。よく考えてみろ。もし人間の努力次第で物事がうまく行くんだったら神様なんていらないじゃないか。人の努力で世の中の不幸がすべて解決するんだったら人は自分自身を神様にすればいい。確かに俺だって努力することは大切だと思うし、実際いろいろ努力をしてきた。しかし、日本人には限度というものがないんだ。とにかく、がんばることしか知らないんだ。連中の耕している地面を見てみろ。」
そこはとても植物が育つような土地ではなかった。地面は乾き切り、赤黒い洞窟の光以外にはそれを照らし出すものはなかった。
「一体誰が生き物を生かしてくれていると思っているんだ。水と大地と太陽の光じゃないか。人間がいなくたってそれだけあれば木も草も育つものさ。ところが、日本人は人の手によって作物ができると思ってるんだ。だから、連中はああやって働き続けている。」
朴さんの話を聞くうちに老人は耐え難い無力感に襲われた。
「ちょっと言い過ぎたかな。」朴さんは老人の方に目を向けると、土を払って立ち上がった。「せっかくここまで来たんだ、もっとおもしろい地獄の様子を見せてやろう。」

 二人はそこから出て更に奥へと進んで行った。するとさっきと同じような分かれ道に出た。その奥にはやはり同じような空洞のような空間があった。
「見るがいい。」朴さんが中を指さした。
その中には学生服やセーラー服を着たたくさんの木偶人形が並べられ、その前で一人の男が得意満面の顔で何かを喋っていた。
「・・・本校は崇高な理念のもとに今まで多くの優秀な生徒を社会に輩出してきた。本校の生徒は単に学業のみならず、道徳教育の貧困が叫ばれる今日にあって、常に品行方正を貫き、礼儀正しい生活を続けてきた。これは今日稀にみる誇るべき本校の伝統である。諸君は高校生らしい態度でその本分たる学業に励むことによって・・・」
この男のお喋りはなかなか終わりそうにはなかった。一方、彼の前に並べられた木偶の顔は皆同じで、髪型も男子は丸坊主、女子はおかっぱに統一されていた。
「一体これはどうなってるんだ?」老人は朴さんに尋ねた。
「あの男はこの地獄で生前に実現することのできなかった理想の学校の校長をやってるんだよ。見てみろ、あの木偶人形たちの整然とした並び方、そしてあの間抜けな男の無邪気さを。まるで昔の軍隊のようじゃないか。とにかく日本人は同じだったらいいのさ。みな同じだったらどんなに馬鹿げたことさえ立派に見えるし、とにかく安心なのさ。」朴さんは蔑むような口調でこう語った。
「まだあるぞ。」朴さんは再び老人をそこから連れ出した。

   バックミュージック:谷山浩子「お昼寝宮・お散歩宮」より「かくしんぼ」を instrumental で

 次の空洞では多くの男女が何かを見ながらにたにた笑っていた。ある者は何かを数えているようにも見え、またある者は何かの帳面を見てほくそ笑んでいたのだが、彼らの多くはそろばん、電卓を持っていて、必死になって計算を続けているために、その中は無言の笑いと計算の音でひしめき合っていた。
「一体何をしているんだ?」老人は尋ねた。「数えているんだよ。」朴さんは答えた。
「何を?」
「そんなの知るものか。とにかく自分の好きな数字を見て喜んでるのさ。ひょっとしたらお金を数えてるのかもしれないし、貯金通帳を眺めてるのかもしれないし、売上台帳を計算して喜んでいるのかもしれない。とにかくそんなもんだろうよ。」朴さんは軽く言葉を吐き捨てた。
 老人が更に彼らをよく見ると何か光る画面に顔を向け続けている男が目に留まった。
「よく分からないが最近あんなのが増えてねー、何か動く絵を見てるようなんだが、こっちを向かないんでそいつがどんな顔をしてるのかさえ分からない。」朴さんがぼやくように老人に言った。
 二人はしばらく黙っていたが、朴さんが再び口を開いた。
「ここに来た者は好きなだけ自分の欲望を満たすことができる。だから誰もここが地獄だとは気づかない。私もこの前まではそうだった。だが、やはりここは人の来るべき所ではない。こいつらをよく見てみろ、何か気づかないか?」
「そういえば、みんなやつれているようだが・・・、」老人は答えた。
「よく見ろよ、あいつなんてもう骨と皮だけだぜ。」朴さんはその中の一人を指さした。「まともな身体を残してたのはさっきのじいさんの仲間たちぐらいのもんさ。あいつらが変わらないのはその欲望がまだ満たされないからだ。だが、たいていの奴らはここで少しずつ痩せ衰え、気づかんうちにぼろぼろになって消えて行く。自分たちの欲望が満たされれば満たされるほど、あいつらは身をやつし喜びながら消えて行くのさ。」
二人の間にしばらく沈黙が襲った。だが、間もなく朴さんがそれを破った。
「物見遊山はこれでおしまいだ。ここから出るぞ。」

 二人は再び長い洞窟の道に出た。しばらく歩くとどこからともなく水の流れる音が聞こえて来た。よく見ると、すでに今まで続いて来た廊下のような洞窟の道は消え、暗い大きな空洞に出ていた。そこにはもはや赤黒い光はなく、緑色の苔の放つ淡い光で満たされていた。
「こっちだ。」
朴さんは水の音の聞こえてくる方向へ進んで行った。次第に水の音は大きくなり、滝のような水音が二人の会話をさえぎった。
「おーぃ、こっちだ。気をつけろ。」
老人は朴さんの声を手がかりにようやく進んで行った。そこには幾つもの橋が流れる水の上に架けられ、冷たいが澄んだ空気が流れ込んでいた。
 更に進むと水の音は次第に遠ざかり、目の前に緩やかな階段が現れた。
「じいさん。ここが出口の階段だ。きついがもう少し歩かんと外には出られんぞ。」朴さんが老人に声をかけたが、老人にはもう言葉を返す気力はなかった。
 どれだけ歩いただろうか。気づくとずいぶん高い所まで来ているようだった。ふと下を見下ろすと蟻の巣のように細い路を通して幾つもの赤い空洞が広がっているのが見えた。「振り向くんじゃない。」朴さんが老人に向かって叫んだ。「あんな世界にもうかかわるんじゃない。」
その時、階段のはるか先に青白い光が輝いているのが見えた。
「ようやくここまで来たか。あと少しだ。じいさん行くぞ。」
はじめのうちその光はあまりにも遠く、幾ら歩いても少しも近づいて来ないように思われた。だが、そのうちにその光に照らし出される階段の終わりがはっきりと見えるようになった。
 二人はようやくその光の照らし出す世界の終点にたどり着いた。そこには固く大きな鉄の扉が横たわり、地獄の世界を他の世界から隔離していた。
「じいさん開けるぞ、手伝ってくれ。」朴さんは扉の取っ手を横にすると、老人と二人で全身の力を扉にぶつけた。
  ゴ
扉が開くと、外界の光が鮮烈な風と共にその中に入って来た。
老人の目は一瞬くらんだが、次の瞬間、果てしなく広がる白い雲海とその上にそびえ立つ青い峰が目の中に飛び込んで来た。二人は垂直に切り立つ山の壁の淵に立っていた。
「じいさん、お先に。」朴さんが老人の背中を勢いよく突き飛ばした。

彼の身体は雲海の中へと沈み込む
  中にうず巻く瘴気の渦
  そこに光は届かず
  次々と人の想念が沸き上がる

  群れなす人々
彼らに追われる小さな子供たち
  助けを求めて泣き叫ぶ少女
  彼女を追う軍服の男たち

  突然、彼方から白い輝きが迫り来る
  闇はトンネルとなり
  輝く出口から
  彼は再び広い世界を放下する

  彼の眼下に島が現れる
白い雲の向こうにあの島が近づいてくる

「あ ・・・」
老人はもとの島に落下した。
 
 

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