天国への扉(5)


カチャ、コト、コト・・・
マリアさんが食器を片づける音がしている。「先生、アワテタデスヨ。」マリアさんが老人に向かって話しかけた。
「そうだったみたいですね。」
「村上サン、命アブナイ、アブナイトコデシタ。」
「そんなに危なかったですか?」
「エエ。デモ、今、アンシン。NO・PROBREMデスカラ。」
 島での老人の生活は再びもとのリズムを取り戻していた。老人は一時、危篤状態に陥りその後はしばらくいつもの散歩も控えざるを得なかったが、病状は安定し、先生の話だと一、二週間で前のように歩き回れるだろうとのことだった。
「いろんな夢を見てました。」
「危ナカッタ時?」
「ええ。汽車に乗って地獄へ行く夢です。今思うととても怖い夢でした。でも、私にはこれが初めてじゃないんです。昔、やっぱり同じような思いをしましたんで・・・。」
マリアさんが意外そうな顔をして老人を見つめた。
「なかなかいないでしょ。いくら年をとってるからって。」
マリアさんは小さくうなずいた。老人は穏やかに自らの過去を語り始めた。
「私も戦争から戻ってずいぶんいろいろ苦労しました。私だけじゃないんですが、当時、日本は何もなくて、すべて一から始めなきゃならんかったんです。仕事をしました。働きました。でも、そのころはまだ良かったですね。まだ目的があったから。二十年も経つともう戦争のあったことが嘘のように日本も変わってね、ビルは建つは、自動車は走るは、もう戦後じゃないって言葉も出るくらいでした。私もまだあん頃は元気でね、いろんな仕事に手を出したもんです。」
「マダ元気デスヨ。」
「いやいや、昔はもっと元気だったんです。仕事もできましてね。でもそれがいけなかったのかもしれない。」
老人はちょっと下の方へ目をそらした。
「それからだいぶんたって妻がなくなりましてね。ずいぶん苦労をかけたと思います。私は外ばっかり出とって、家に居らんかったから。でも、その時初めて気づいたんです。もう私は独りだってことにね。」
「子ドモサン、イナカッタデスカ?」
マリアさんが尋ねた。
「おりましたよ。でももう独立しとったし、今さら頼るわけにもいかんし、一人で居るのが自然と思ったんです。」
「シゼン?」
マリアさんはいぶかしそうな顔をした。
「マリアさんには分からんかも知れんが、もう日本では私のようなじいさんやばあさんが子供の家族と一緒に暮らすってことはないんですよ。そうなってしもうたんです。子供たちとはあまりにもものの考え方、生活のし方が違うですからね、でも、それは大したことじゃなかった。」
老人はしばらく話すのをやめ、そばにあったコップの水を一口飲んだ。
「私はそれからある老人ホームに入りましてね。それなりに蓄えもあったんで、知人にいい老人ホームを紹介してもろうたんです。そこは結構立派なとこでしてね、一部では名門老人ホームとか言われてて、仕事に成功した金持ちとか、役人のOBなんかの偉い人がたくさん入ってたんですよ。その私の知人はそんな偉い人の一人でね、私はたいして偉くなかったんだが、特に目をかけてもらとったんで、安く入ることができたんです。でも、そこは大変なとこだった、人の居るべきとこじゃなかった。実はね、名門老人ホームとは名ばかりで、うるさい年寄りたちの口封じのための施設だったんです。」
「クチフウジ?」
「黙っててもらおうということですよ。もともと偉い人が多いでしょ、みんな引退したとはいえ、いろいろ若い人たちの仕事に口を出すんです。それで体裁を整えた高級な老人ホームに彼らを押し込めたんです。そりゃそうだ、彼らはたとえ頭がボケたって、いやボケればボケるほど自分が一番偉いと思っているんだから、はたにはとても迷惑ですよ。だいたいここに来てる連中は家族に捨てられた連中でしてね、奥さんに突然別れ話を突きつけられたり、そこまで行かなくても、全然家族に相手にされなくなってね、ここに追いやられた奴らなんです。俺は昔知事の何々の上司だったとか、俺があんとき助けてやったからあいつはここまで偉くなれたんだとか、そんな話ばっかりでね、とても耐えられるもんじゃなかった。だが、この老人ホームの本当の怖さはそんなところにあるんじゃなかった。実はね、彼らは見事に世間から隔離されてたんですよ。」
「カクリ。」
「そう、世の中から追い出されて閉じ込められたと言ってもいいのかな? ここではね、年寄りたちの不満が出ないように怖ろしいまでの気配りがされとったんですよ。そこは盆地にあってね、電波がよく入らんのですよ。だからホームの方でテレビやラジオの電波をまとめて受けとるんですが、時々ホームがわざわざ嘘のニュースを作って流したりしとったんですよ、奴らを喜ばすためにね。」
「ドウイウ・コトデスカ?」マリアさんが不思議そうな顔をして尋ねた。
「彼らはね、現役を退いたとはいえ、いろんなカタガキを持ってるんですよ。何々財団の名誉理事とか、何々協会の特別顧問とかね。で、そんな財団や協会があたかも世間の注目を集めているかのようなニュースを作って流すんです。大したもんですよ。だが、それだけじゃない。毎週一回、寺の坊主が来ましてね、こいつも恐らくは本物の坊さんじゃないんだろうが、そのニュースの話を使って奴らをおだてあげるんですよ。今日の日本の繁栄は皆さんの努力のお陰だとか言ってね。とにかく、あきれ返るほど老人を騙すのがうまかった。ま、騙される方がいかんのかも知れんし、奴らはもともと騙されるべきなのかも知れんし・・。」
「デモ、村上サン、ドウシテ・ソノコト・シッタノデス?」
「ある時ね、私をそこのホームに紹介した知人が理事をやってるという学校の生徒が来ましてね。私たちのために歌を歌ったり、青年の主張、ま、将来の夢をみんなの前で発表したりしたんです。みんな丸刈りおかっぱで、礼儀正しくてね、そりゃみんな感心して、その知人も得意顔だったですよ。ところが、それは皆ヤラセ・嘘だったんですよ。」
「ウソ!?」マリアさんの声が裏返った。
「そう。私は見てしもうたんですよ。その後ホームの管理の人がお金の入った封筒を子供たちに渡すのをね。ショックだった。私はその子供たちが話す内容を聞いてね、もう世も末だと思った。」
老人はそこで息を切らして、水の入ったコップに再び手を伸ばした。
「ソレデドウシタ・デスカ?」
「それでね、私はここには居れんと思って、逃げ出したんですよ。人より足腰は丈夫だから。でも、やっぱり無理だった。本当に隔離されたとこにあったんですよ、それは。人の居るところにも出れんでね、ついに山ん中に倒れてしもうた。もう死んだと思うたね。その中で夢を見た、あの時みたいにね。白い花が一面に咲いとって、本当にきれいだった。それで、そんまま先に行こうとしたんだが、突然足をつかまれてね。驚いて下を見ると、黒い手が私の足をもの凄い力でつかんどる。よー見るとその手は昔、戦争で殺した南の人の手だった。あまりの恐ろしさに目が覚めたらホームのベッドに寝かされとった、今度と同じようにね。私は戦争で犯した罪のために死ぬこともできんかった。」
老人の話はそこでとぎれた。マリアさんは身じろぎもせずその話を聞いていたが、もう老人にそれ以上何も聞き返さなかった。
 しばらくして老人が再び口を開いた。
「それからも私は今まで生きてきた。正直言って、私がここにいることが夢のようだ。もう私が死んでも悲しんでくれる者は誰もいない。なのになぜ私はここにいるのか?」
その時、マリアさんが少しきびしい目で老人の顔を見た。
「ソレハ、チガウデス。」
一瞬、老人と彼女の目が合った。老人は思わず息をのんだ。
 
 

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