東人の新居浜生活新居浜見聞録 Part 7


台風18号

 
 1999年の台風は、新居浜にもダメージを残していくようだ。
 先日の台風16号に引き続き、9月24日に新居浜を襲った台風18号は、風台風であり、当家にも被害を残した。
 
 東人は出勤中あったが、強風のため、テント車庫が潰れてしまった。
 このテント車庫は、以前に強風のため破れて張り替えたことはあったが、今回はフレームが曲がってしまうという被害であった。
 車が入っている時に、このように潰れていたら車のダメージも大きかったろう。
 不幸中の幸いかもしれない。
 
 翌日、被害の状況を調べてみたが、フレームが複雑に曲がっていて修復は不能と思われる。
 撤去するだけでも、かなりの費用がかかりそうだ。
 このままにしておいたら、車を置く場所が無い。 
 新しい車庫を作るにしても、何時、転勤になるかもしれない身のため、考え物である。
 


台風16号


 1999年の敬老の日(9月15日)は、休日であるにもかかわらず、朝早くに目が覚めた。
 外の様子が普通では無かった。窓から外を見ると横殴りの暴風雨であった。テレビをつけると、丁度新居浜の辺りに台風16号が来ているようだ。 ニュースでも、新居浜の映像が全国放送で流されていた。
 
 前日の夕方の天気予報では、九州の近くに熱帯低気圧が来ているようだった。その熱帯低気圧が九州に上陸後、予想以上に風速が大きくて急遽台風16号となったものであった。
 台風16号は九州を経由して、愛媛の南予に再上陸して愛媛県を通過していったものであるが、愛媛県内各地で大雨を降らせた。  
 
 暴風雨の時、玄関から家の前を流れる小さな川を見ると、濁流が流れているのが確認できた。
 この川は、川底までの深さが2〜3mある深い川であるが、普段は底の方でチョロチョロと水が流れているだけの川である。その川の約9割程まで水位が上がっていた。
  雨は朝8時頃には収まった。
 
 その後に聞いた話では、新居浜市内でも浸水した家もあったらしい。 
 翌日の新聞には、マイントピア別子の対岸の新居浜・別子山線の写真が掲載されていた。  山からの水が道路に流れだし、道路から滝のように水が落ちている写真であった。
 
 その少し上流の鹿森ダムでも、洪水調節容量を大幅に上回る流入の危険性があったとして、ダムへ流入した水量を一時的にそのまま放流する操作に切り替えたそうだ。
 
 新居浜に来てから、台風が来ても、それほど大きな被害のでるような台風を経験していなかったが、今回の台風は、突然に現れて、大雨を降らせていった。
 
 被害にあわれた方には、お見舞い申し上げます。


新居浜のむかしばなし


 別子銅山記念図書館にて、「新居浜のむかしばなし」(平成元年2月「新居浜のむかしばなし」編集委員会編 新居浜市教育委員会 発行)を借りてきて読んだ。
 新居浜市内で伝わる話を集めた物であるが、全部で208話の昔話が収録されている。
 目次は、地域別に構成されていて、川東地区は70話、川西地区が41話、上部地区については97話の昔話が収められている。
 
  新居浜の昔話の特徴として、「高せんぼう」という化け物の話が全ての地区で伝えられている。「高せんぼう」とは、夜中に現れる背の高い化け物である。
 
 また、タヌキにまつわる話も合計で23話あった。ところが、キツネについての話は殆ど伝わっていない。
 これについては、コラム欄で以下のように説明されていた。
  タヌキとキツネ
 四国では、タヌキの昔話がたくさん聞くことができるけど、キツネの話はあまり聞きません。
 どうやら昔、タヌキとキツネがけんかばかりするので弘法大師さんが仲裁に入り、キツネを中国すじへ追いやり、かねの橋ができたら帰ってきてもよいと申したそうです。
 瀬戸大橋がかかったのできっとキツネも帰ってくるでしょうか?。
 
 弘法大師は、四国と本州が鉄橋で繋がることを予見していたのだろうか?。
 本州と四国に3つの橋がかかる現在、四国にキツネが現れるようになるのだろうか?。
 
 本ホームページの内容に関係する話も色々と在りましたので、これから追加していきます。

   葛淵
   明正寺境内の薬師堂
   小女郎狸
   御簾が上がるお茶屋の観音堂の話
   小女郎狸の曾孫狸を食べて祟られた話
   滝の宮切りぬきタヌキ
   田村踏切り
   月庭和尚の法力
   萩尾山金毘羅宮由来記
   ちきり淵
   石鎚島之助(大島島之助)
   ゆうれいの片そで
   王塚の話

 天正の陣に関わる昔ばなし
  

   東田の「猪の池」
   チヌの池の話
   カネ姫を助けたイノシシの御恩返しの話
   山上馬を洗うの奇計
   金子城に残る八つの銭瓶

 【関連URL】
       Hobby's Time
        新居浜のむかしばなしについて、こちらに多数掲載されています。


日本最大のクレーン

 
 西条に日本最大のクレーンが設置されたということで見に行った。
 今治造船西条工場に設置された800トンづりクレーンで、高さ90メートル、幅168メートル。
 この形のクレーンはゴライアスクレーンと呼ばれているらしいが、横幅では日本最大。
 99年7月に第一基目が設置され、8月末には、同じクレーンの2基目が設置された。
 このクレーンは、遠くの産業道路辺りからも確認できる。
 まだ、造船所のドックの部分は工事中だが、これから大型の船舶が作られていくのだろう。


夜市

 
 新居浜の商店街では、夏の土曜日に夜市が開催される。今までは、夜市があることは知っていたが、行ったことは無かった。
 最近、娘が「お化け屋敷」に行きたいとよく言うようになったが、近くにお化け屋敷のある遊園地は無く、連れていく場所が見つからなかった。
 今年の夜市では、登道商店街で、お化け屋敷も開催されるとのことで、娘を連れて出かけた。

  登り道の商店街は、色々な出店が出て、にぎわっていた。
 お化け屋敷の会場には、入場待ちの行列ができていた。並んでいるのは、中学生から高校生ぐらいの女子が殆どであった。会場の出口からは女子学生が悲鳴を上げながら逃げ出してきていた。 小学生を連れた親子は少なかった。
 お化け屋敷の中に入ると、お化けに扮した人達が急に現れて驚かす。恐いというより、暗がりから急に現れてびっくりする。出てきた「お化け」達は、娘がまだ小さいので、娘の頭を撫でたり、「頑張ってね!」と激励していた。変なお化け達である。
 

  娘にとっては初めてのお化け屋敷で、娘なりに恐かったようであった。

 しかし、このお化け屋敷の会場となったのは、かつてニチイのあった場所である。お化け屋敷の中にも、昔の売場の面影が確認できた。
 ニチイが閉店してから、もう5年ほど経つが、その後も建物が他の店として利用されることもなく、このような臨時の催し会場として使われるのみという事実、大人にとってはこのことの方に恐さを感じる。

   お化け屋敷を出てから、金魚すくい、水ヨーヨー釣りをして、お土産に綿アメを買って帰宅した。

 

 1999年11月28日付けの朝日新聞・愛媛版に、新居浜のボランティア支援団体で特定非営利活動法人「GOODWILL」が大阪NPOセンター市民活動発表会でグランプリに選ばれたと報道された。
 「GOODWILL」は、空き店舗に「おばけ屋敷」を開き、売り上げでつくった百万円の基金の使途を公開の審査会で決めるなど独創的な活動が評価されたとのこと。
 
 夜市の「お化け屋敷」で娘の頭を撫でていた「お化け達」のことであろう。


授業参観

 娘の通う惣開小学校では授業参観は、月に一度ぐらいの頻度で開催されているようだ。
 妻も一度参観日に出かけたが、親の参観者が少なく、毎回出かける必要は無いと感じたようだ。
 
 参観の中に、給食参観というものがある。子供が食べている給食を親も食べる参観である。 これには、妻も積極的に参加した。 行ってみると、多くの母親が参加していたそうだ。
 一食220円の給食、親としては、どのような内容か関心があるのだろう。
 
 99年6月20日、日曜日に参観日が設定された。 日曜なので、東人も娘の授業参観に出かけた。
 当日は、多くの父母が参観していた。
 娘の授業の様子を参観しながら、小学校の様子を観察して回った。
 今の小学校の教室には、各教室にテレビが設置されている。また、コンピュータ室なるものも設けられていた。
 
 惣開小学校には王子タイムという時間がある。
 惣開小学校の裏山は王子ヶ丘と呼ばれている。
 その王子ヶ丘に小学校のトリムコースが設けられている。王子タイムでは、このトリムコースで運動するようだ。
 


名犬ラッシー

  
 近所にコリー犬を飼っている家がある。その家の奥さんが犬を散歩させているところに妻が出会った。
 コリー犬を見て、「名犬ラッシーみたいですね」と言ったそうだ。

 「名犬ラッシー」とは懐かしい名前である。東人も子供の頃に見ていた番組であるが、その後に再放送されという記憶はない。 少し若い年代の人は、「名犬ラッシー」と聞いても分からないかも知れない。
 ・・・・年齢がバレるぞ!。

 その懐かしの名作「名犬ラッシー」が再放送されるようだ。99年の6月10日から、NHK教育テレビにて毎週木曜日の18:45から放送されるとのこと。
 
 近所の家の「名犬ラッシー」は「ユメちゃん」と呼ばれていた。
 本当は「夢之介」という名前らしい。 犬とは言え、面白い名前をつけられたものだ。


太鼓台

    
 1999年6月5日、リーガロイヤルホテルの前を通ると太鼓台が一台置かれて、太鼓が打ちならされていた。
 当日、何か大きな会合がホテルにて開催されていたようで、そのために太鼓台も参加したのだろう。
  
 新居浜では、何かの行事がある時には太鼓台も参加することが時々ある。ゴールデンウィークの頃には子供太鼓台の運行もあったようだ。大人の太鼓台が祭り以外で運行されることは珍しい。

 地元の人なら、太鼓台を見れば、どこの地区の太鼓台か区別はつくのだろうが、東人には何処の太鼓台も同じように見える。
 
 しかし、太鼓台を見掛けると近くまで行ってみたくなるようになった東人も、次第に新居浜人になってきたということなのだろうか?。


地域振興券

  
 6歳の娘のおかげで、当家にも地域振興券を受け取る権利が与えられた。
 連絡の葉書が届き、それを持って公民館に行き、受け取った。
 千円券が20枚。どのように使うかは未定。
 
 地域振興券は新居浜の殆どの店で使えるようだ。
 聞いた話によると、最近できた焼き肉屋では、地域振興券を使うと半額になるとのこと。店にとって地域振興券がそれほどメリットになるとは考えられないが・・・・。
 
 しかし、15歳以下の子供の居る家庭という制限は不公平のようにも思う。
 貰えるものは誰でも欲しいものである。また、それが均等にとられている税金からまかなわれているとなると尚更かと思う。これが景気対策の効果が有るかも疑問である。
 
 16歳の子供の居る家庭は特に残念かと思う。 そのような家庭のために、一六(いちろく)本舗という愛媛県では有名なお菓子メーカーは、社名にもなっている一六から、16歳の子供に商品券を出すということが愛媛新聞に報じられた。
 
  
 本物の地域振興券は、色がついています。この画像に着色してプリントすると犯罪になります。


郵便ポスト

  
 最近見掛けるポストは、四角いものが殆どである。
 西条市内で、昔のままのポストを見掛けた。 ときめき水都市の近くの店の前に有った。
 新居浜近郊でも、他の場所でこの形のポストは見掛けた覚えはない。
 
 東人も子供の頃から、この形のポストに手紙を入れに行っていた覚えがある。
 ポストと言えば、この形。 この形の貯金箱も有ったように記憶している。
 
 いつ頃から、このような丸いポストが四角いポストに置き換わったのかは覚えていないが、気がつくと四角いポストばかりになっていた。
 
 いつまでこのポストが使われるか判らないので写真に撮って記録しました。 
 
 
 その後、他の場所でもこの形のポストが残っているのを見つけた。

 同じ西条で、陣屋跡近くの郵便局の前にも丸いポストが有った。
  
 新居浜でも、国道11号の旧道沿い、土橋の高橋酒造の前(写真)にも丸いポストがある。
 また、新居浜の港町、みなと保育園前でも確認した。
  
 松山方面であるが、川内インターから伊予市方面に続く県道23号線(伊予川内線)の重信町あたり、井上商店という店の前でも見掛けた。
 このポストの写真は、smb.netのWeb Master のページで紹介されている。

 
 昔懐かしい丸いポストを見つけてから、ポストの形が気にかかるようになった。
 最近は四角いポストが多くなったが、色々な形のポストがあるのに気がついた。
 
 四角いポストについても、調べてみた。


レデイ薬局

  愛媛県ではこの名前の薬局を多数見掛ける。 
 千葉県の松戸市を中心として分布する「マツモトキヨシ」という薬局チェーンほどでは無いが、県下の色々なところに店がある。 

 ちなみに「マツモトキヨシ」とは、昔の松戸市の市長であった松本清のフルネームで、在任中に「すぐやる課」を作って話題になった市長である。その市長が始めた薬局が大きくなったものらしい。最近では、東京の渋谷にも店を出し、関東では「マツキヨ」として知らない人が無いぐらいに有名になった薬局である。

 愛媛の「レデイ薬局」は、店舗数では「マツモトキヨシ」には及ばないが、県下至る所に大型の薬局が存在する。新居浜にも3件ほど店がある。薬だけでは無く食品や雑貨なども置いてある。
 この薬局の名前を、東人は今まで「レディ薬局」と読んでいた。ハートの中にレディの文字。女性専用の薬局かと当初は思ったが、そんなことは無かった。
 
 最近、娘がカタカナも読めるようになり、この看板を「れ・で・い」と読んでいた。「れ・で・い」では無く、レディ薬局だと教えたが、娘の方が正しかった。
 看板をよく見ると、確かに、「レデイ」と全て同じ大きさの文字で書かれている。
 大人は先入観があり、文字を正確に見ていないことに気がついた。
 レディと「れ・で・い」では、聞いたときの響きが全然違う。
 「マツモトキヨシ」も薬局の名前としては変ではあるが、「れ・で・い」薬局とは変な名前をつけたものだと思うようになった。