東人の新居浜生活新居浜の暮らし新居浜の暮らし(5)


本棚

 東人は昔から多くの本を所有していた。学生時代に使っていた参考書やその後に購入したもの等、多くの本があり、組立式の本棚二つに納めていた。
 
 新居浜に転勤してきたころは、必要な物だけを出して、残りは段ボールに入れていた。娘も小さかったので、悪戯されないように奥にしまっていた。
 
 星越社宅から引っ越しをする際に、多くの本を捨てたが、それでも、引っ越し荷物として運んだ本の量は多かった。
 引っ越し先のマンションでは段ボールを収納する場所も限られているため、本を可能な限り本棚に入れた。それでも納まりきれない本は段ボールで6個ほど残った。
 
 本棚に並べた本について、娘がタイトルに興味をもって眺めたり手にとって開いたりしている。
 東人も子供の頃に、父の本棚に並ぶ化学の本などに興味を示した覚えがある。そして、いつの間にか、化学の方面に進路を決めていた。
 娘も父の本を見ながら、理工系に進むことになるのだろうか?。
 


電波

 マンションに転居し、中波ラジオ放送の受信がしづらくなった。
 星越の社宅は木造であったので、松山から発信される中波のラジオ放送はより鮮明に受信できた。
 鉄筋コンクリート製のマンションでは、中波放送を受信しても雑音が多い。
 
 ラジオ放送以外に、これまでは問題なく受信できていた電波時計も定期的な時間調整ができなくなっているようだ。
 時間調整が完了したときに表示されるマークが表示されなくなっていた。
 電話の時報で確認すると、時間がずれている。
 仕方なく、時々、電波時計を車に載せ、外出先で時刻合わせをするようにしている。
 
 
 


洗面所の鍵

 洗面所のドアがロックされてしまった。内側のドアノブにボタンがあり、それが押された状態で閉めてしまったようだ。トイレにも同じ形の鍵がついている。
 洋室の鍵は預かっていたが、洗面所やトイレの鍵は無かった。
 不動産屋を通して大家さんに鍵が無いか問い合わせをしようと考えていた。それでも鍵が無かった場合には、専門の業者を呼んで開けてもらうしかないかと思った。
 
 洗面所がロックされてしまったということを知った娘は、自分が開けられるかもしれないと言い出だした。
 信じられなかったが、娘がいじるとドアが開いた。
 どのようにして開けたか確認すると、なるほど鍵が無くても開ける方法があった。
 娘は、同様に閉め込んだことを経験し、開ける方法も見つけていた。
 娘の知恵にも驚いたが、このタイプの鍵(SHOWA VMOHS の記号がついていた)がこれほど簡単に開けられるとは、鍵の意味をなさないものと思った。
 
  * 防犯上の観点から、開ける方法については公開しません。同様の問題で困られたことのある方にはメールにて連絡いただけたらお教えします。
 


星越社宅からマンション暮らしへ

 
 星越社宅を出て3LDKのマンション暮らしとなり、生活の様式が大きく変化した。
 こちらの方が世間一般の人の生活様式であり、今までの社宅の生活が特殊であったのだが、マンションでの暮らしに当初は戸惑いも感じた。
 
脱衣スペース
 マンションでは、風呂の前は洗面所であった。この狭いスペースで脱衣するのか、と思った。このスペースに洗濯機まで置いてある。
 星越社宅では、脱衣場所は昔の女中部屋であった3畳間であり、洗面所は遠く離れた場所、洗濯機は風呂の焚き口の脇にあった。旧女中部屋は物置スペースであったが、そこで脱衣していた。
 マンションでの脱衣スペースの狭さ、洗濯機との同居には抵抗を感じた。
 しかし、洗濯機は正面に立たなくてもボタン操作はできる。洗濯機の横に脱衣籠を置いても支障は無い。
 世間の人はこのように生活していたのかと認識するようになった。

箪笥
 妻の嫁入り道具の箪笥は大きいものである。三つの箪笥のセットを並べると2.4mの幅を要する。星越の社宅では並べて置いてもまだ余裕があった。
 引っ越しの際、この箪笥は洋間の一つに押し込めることにした。
 洋間の角に柱の部分の出っ張りがあり、三つの箪笥をきれいに並べることはできなかった。 仕方なく、一つの箪笥は柱の分だけ前にはみ出した配置となった。
 当面、この部屋は物置部屋として使うしか無い。

風呂
 新しいマンションは電化住宅で、夜間電力でお湯を沸かして給湯するシステムになっている。当然、シャワーがついている。
 星越社宅では、風呂は水を入れて沸かす手間があった。
 水を張るのに約5分、お湯を沸かすのに30分前後で止めに行かなければならない。うっかり忘れると水が溢れていたり、熱湯になっていたりした。
 夏場も浴槽に浸かっていたが、入浴後は汗が出た。
 
 マンションに遷ってからは、夏場はシャワーのみで済ませられる。
 風呂が沸くまで待つこともなくなった。

テレビ
 星越社宅では、複数のテレビ局の電波が入るように色々な方向を向いた複数のアンテナを設置していた。
 
 こちらのマンションではケーブルテレビのサービスが利用できるため申し込んだ。
 室内のプラグをコンバーターにつなぎ、テレビに接続するとほとんどのテレビを見ることができる。
 星越社宅では、娘の希望でスカイパーフェクトのパラボラアンテナも設置して契約していたが、主に見ていた「キッズステーション」もケーブルテレビで見られるようになり、スカイパーフェクトは解約した。
 
  ケーブルテレビのチャンネルも特殊な構成になっている。
 星越社宅でも、テレビのチャンネルを関東流にプリセットしていた当家では、以下のような換算表を作成してコンバーターのリモコンに張り付けている。
                                                           
関東の
チャンネル
放送局ケーブルTVの
チャンネル
  1NHK総合   2
  3NHK教育   4
  4南海放送   6
  6あいテレビ   9
  8テレビ愛媛  10
 10愛媛朝日テレビ   5
 12テレビせとうち   7
 BS-1  45
 BS-2  46
 
玄関
 マンションの入り口は狭い。ドアの幅しかない。
 星越社宅のころには玄関に娘の自転車を置いていたがそんなスペースは無い。
 別の所に自転車置き場があり、自転車はそちらに置くことで特に問題は無い。
 
 玄関からは同じ幅の廊下がつながる。
 引っ越しの際、玄関から箪笥を入れようとしたが廊下の隣の部屋に入れようにもドアの前で方向転換ができず、入れられなかった。
 箪笥は窓から搬入した。
     
  当然だが、マンションにはベランダしか無い。
 星越の庭に咲いていたマリーゴールドを移植したプランタを置いているが緑が乏しい。
 星越社宅では、大きな庭で草花を育てていた。
 それよりも自然に生えてくる雑草の除去に追われていた。
 近所の社宅から草刈り機で草を刈っている音が聞こえてくることがある。
 余所で草刈りをしていると当家も草を刈らねば、という必要性を感じるが、なかなか踏ん切りがつかないでいると、雑草が延び放題で見苦しくなる。
 
 当家では電動の草刈り機を使用していたが、ある時、足下近くの草を刈っている時に、間違えて履いていた長靴を破ってしまったことがあった。一瞬接触しただけであったが、長靴はズタズタに破れていた。
 履いていた靴下も同様に破れていたが、幸いにも足までは到達していなかった。大けがをする寸前であった。
 それ以後、しばらくは草刈りをする気にはなれなかったが、雑草が伸びてくると刈らなければならない。
 
 除草作業が社宅に住む人達の大きな負担となっていた。
 マンション暮らしになり、草刈りからは解放された。

タオル掛け
 星越の社宅では、釘やネジの打ち込みは自由であった。
 必要なところにネジでタオル掛けをつけたり、棚をつけたりした。
 マンションでは自由にできない。
 市川に居たころに使用していた突っ張りポール等が再び活躍するようだ。
 
 吸盤式のタオル掛けを浴室につけようとしたが、何度つけても脱落する。
 浴室の壁の表面が平滑で無いため空気が漏れるようだ。
 説明書きでは壁と吸盤の水分を拭き取るように書いてあるが、逆に水を含ませて張り付けた方が長持ちする。しかし、時間が経つと脱落した。
 色々試した結果、吸盤に石鹸水をつけて張り付けるとやや効果が見られた。
 
 その後、吸盤にハンドクリームをつけると良いという情報をいただいた。
 日本テレビ系列で放送されている「伊藤家の食卓」で紹介されていたらしい。

 さすがに、マンションには百足は出ないようだ。
 火箸で捕まえて熱湯をかけて処分することは不要になった。
 
 しかし、ゴキブリは出没した。
 効かないともいわれているが、ペストXをセットした。
 

洗濯物の干し場
  星越社宅では、長い廊下の内側に物干し竿を設置して主に室内で洗濯物を干していた。
 時々、外の物干し竿でも干すこともあるが、雨が降って濡れてしまうこともあった。
 
 マンションでは、ベランダに出て洗濯物を干さなければならない。
 ベランダにはエアコンの室外機も置かれていて少し狭い感じがした。
 ベランダで洗濯物を干すようになった妻は、「直ぐに乾くようになった」と言っていた。
 また、ベランダでは雨が降り出しても洗濯物まで濡れることはなくなった。
 

掃除
 妻の話では、星越の社宅に比べて掃除は楽になったそうだ。
 社宅では、部屋の面積が大きかったことに加えて、天井から埃が落ちてきて部屋が汚れる。天井ばかりで無く、2001年3月24日の芸予地震で崩れた壁からは壁土がパラパラと落ちてくる。
 マンションでは建物からの埃の発生は少なく、ゴミや埃の発生は主に人間からのもののようだ。
 

 


引っ越し当日

 
 引っ越しは夏の暑い盛りの8月14日に予定通り行われた。
 引っ越し当日、朝9時少し前から荷物の搬出が始まった。
 また、エアコンの移動のための取り外し作業も始まった。取り外したエアコンは荷物の搬入前に取り付けるということで、電気屋さんと引っ越し先のマンションにでかけた。
 さらに、廃棄物の引き取り業者も来て、不要となったものを引き取ってもらった。
 昼少し回ったところで、荷物の搬出は終了した。
 長距離の引っ越しの場合、この後は空いた住まいを片づけてから移動となるのだろうが、近距離の引っ越しでは午後に荷物の搬入が待っている。
 エアコンの取り付け工事も終わり、最終確認した後、急いで食事をして午後の搬入が始まった。
 大きな家具は所定の位置に置いてもらったが、その他の段ボールが山のように部屋に積まれて身動きもできない程になった。
 以後しばらくの間、段ボールの整理に追われる日々が続いた。
 


引っ越し準備

 2002年の夏、約8年間住んでいた社宅からようやく出ることになった。
 古い家であり、百足が出たりの家であったが、出るとなると懐かしい事の多い家である。 
 新居浜に来たときには1歳半であった娘も小学4年生になっている。娘にとっともこの家での生活が幼い時の良き思い出として残ることだろう。
 
 引っ越しするにあたって、荷物の整理には苦労した。社宅には収納スペースが多くあり、収納したままのものも多くあった。
 
 社宅から出るにあたり重要度の低いものは捨てていかなればならない。
 捨てる物を色々と考えたが、実際に捨てた物と結果として引っ越し荷物として運ばれた物などがあった。

捨てた物   
                                
レーザーディスクプレイヤー   今はDVDの時代で、レーザーディスクのソフトやハードは売られていない。故障していたが修理するよりDVDに乗り換えた方が得策と考えた。
 所有していたソフトは兄に引き取ってもらった。
8ミリビデオプレイヤー   秋葉原にて今後は小さい8ミリビデオが主流になると説得され購入した。しかし、その後もVHSの地位に揺るぎはなかった。
 ビデオカメラで撮ったテープを直接使えるものであったが、故障したため使っていなかった。
 テープで録画するビデオカメラも古い物になったようだが、今でも使っている。
ミニコンポ 台所に置き、テレビの音声を出すアンプとしても使っていた。
 CDプレイヤーとカセットレコーダが故障して動かないが、ラジオとしては使えていた。
 毎朝6時にタイマーでラジオが鳴りだして、当家の一日が始まっていた。 
テレビ
 独身時代からオーディオとつないで見ていたテレビ(ソニーのプロフィール)。
 テレビチューナーとモニターが分かれていて音声はステレオで聴いていた。結婚後、大型のテレビも購入したが食卓で食事等をしながら見るテレビとして活用していた。 
電動草刈り機と
延長コード 
 星越に来てから草刈り機を何台か購入した。
 ワイヤー式の草刈り機は2台使用したが、ワイヤーの絡みが頻発し、買い換えた。
 バリカン式の草刈り機は使用に耐えていたが、故障してバラしたら修理不能となった。
 回転式の電動草刈り機は暫く順調に動いていたが、足下の草刈りの時に長靴を破損するほどの威力で使用を一時ためらった。その後、注意しながら使用していたが最後には動かなくなった。 
ガスレンジ 転居先は電化住宅でガスは無いため、廃棄した。  
滑り台  妻の実家から送られてきたもので、室内に置いてあった。
 当初、妻は捨てる気は無かった(娘に子供ができた時のためにとっておこうと考えていた)が、置く場所が無いため廃棄することにした。  
オーディオ用のラック アングル材をボルト締めして組み立てるラックが合計4セットあった。これまでの4回の引っ越しの際に解体しては組み立てていたが老朽化していた。  
電子レンジ台 新居浜に来てから購入したもの。米櫃もついていたが、ある時、米櫃の中に虫(蛾のようなもの)が発生してからは米櫃は使っていなかった。
 汚れていたことと、引っ越し先には置くスペースが無いため廃棄した。  
下駄箱 引っ越し先の玄関は狭く、また、作りつけの下駄箱があったため持っていけなかった。この下駄箱の上に金魚鉢を置いていた。  
古い電話機 新居浜に越してきてから、コードレス電話やFAXを購入し、電話機だけでも5台使っていた。
 ISDN回線のためパソコン近くに設置したターミナルアダプタから長いコードを引き回してつないでいたが、一番古い電話機(台所のガスコンロ近くに設置していた)は汚れも甚だしく、廃棄することにした。  


転居先探し

 約8年間住んでいた社宅からようやく出ることになった。
 転居先を探すために複数の不動産屋を訪問した。
 転居先として、娘の習い事の関係から西条市も便利かとも思い、西条の不動産も考慮した。
 その後、色々と考えた末、娘が転校することの無い惣開校区内での転居が良いと考え、不動産を探した。
 しかし、惣開校区は社宅や工場が大半を占める地域で、不動産物件はほとんど見あたらなかった。
 新たな不動産屋を訪ねると、近々空く予定のマンションが丁度発生したとのこと。
 その部屋が空くのを待っていると、同じマンションでもう一部屋が既に空いたとの連絡が入った。  どちらも間取りは同じということで、先に空いた部屋の下見をし、その部屋を借りることにした。
 7月の末に転居先が見つかったが、引っ越しの日を早い内に決定しなければならない。 8月に入るとお盆休みもあり、お盆明けだと遅くなると考えてお盆の直前に引っ越すこととした。
 近い距離の引っ越しなので、比較的楽な引っ越しになるかと思ったが、実際はその逆であった。
 



マイコプラズマ肺炎

 
 2002年の冬休みの最後の日、娘が熱を出した。翌日、学校を休み病院に行った。
 病院にて医者が聴診器をあてたとたん、「レントゲン」と言ったそうだ。
 レントゲンを撮り、肺に陰がみられ肺炎と診断された。
 
 肺炎ということで、家庭医学書で調べてみた。
 肺炎にも色々な種類があるが伝染性があるようだ。医者から1週間ほど休むことを言われ、学校から証明書をもらってくるように言われたそうだ。
 医学書には、マイコプラズマ肺炎というものが書かれていた。娘はその名前を聞いて、2学期の終わりにクラスでその病気になった子がいると言う。
 その子からうつったのだろう。
 潜伏期間が2週間ほどあるので、冬休み前に感染して休み明けに発病したのだろう。
 
 妻は自分にもうつるかと心配していた。
 医学書によれば、「5歳から25歳ぐらいで見られる病気なので大丈夫」と答えた。
 「私にも感染する肺炎は無いの?。」と妻が言う。「老人性肺炎というものもあるよ」と答える。妻は「老人では無い」と怒っていた。
 肺炎ということであったが、娘は至って元気であった。
 
 約1週間学校を休み、再度病院に行った。
 医者が聴診器をあてたとたん、「薬が効いたようですね」と言った。
 ということで、学校にも行けるようになった。
 
 


500円硬貨

 2000年8月1日に新しい500円硬貨が発行された。
 しかし、新居浜では新硬貨はなかなか手にすることは無かった。
 11月に買い物をした時の釣銭に新しい500円硬貨が入っていた。 当時は珍しいものを入手したと思った。その後、時々新500円硬貨を手にするようになった。
 
 年末年始に関東に帰省したが、関東の自動販売機は500円硬貨の使えない物が多いことを痛感した。
 変造コインによる犯罪への対策だろうが、500円がなかなか使えない。
 ホテルの自動販売機でも500円は使えないと書いてある。
 1000円札を入れて500円の買い物をしたら、釣銭で出てきたのは500円硬貨であった。 100円硬貨の釣銭を期待していたが、不要な500円硬貨が出てきた。
 
 2001年になってから、買い物をしたときの釣銭に新500円が混ざることが多くなった。
 新居浜にある自動販売機は旧500円は使えるが新硬貨を受け付けないものが多い。
 新500円が釣銭に入ると嫌な気分になる。ババ抜きでババを引いたようなもので、手にするとなるべく早く使うようにしている。
 


赤いピエロと黄色いピエロ

 いつもは寝坊の娘が朝に目を覚まして急に元気になった。
 良い夢を見たという。
 赤いピエロと黄色いピエロに親切にされたとのこと。その時、娘はピンクのピエロであったそうだ。
 

 その後、娘は学校への登校の支度をしなければならない忙しい時に机に向かっていたという。
 赤いピエロと黄色いピエロに手紙を書いていたそうだ。
 
 そんな娘の頭上に母の雷が落ちたのは言うまでもない。