悩みと共に(抑うつ 神経症 気分変調 うつ病 摂食障害)
仏教
苦からの脱出
- 「中道」(悟りを開いたとき最初に教えたこと。)
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出家した人がしてはならないふたつのことがあります。一つは欲望にふけること。もう一つは苦行に体を苛む事です。
欲望にふける人は快楽を得ているようだけども欲望の底無し沼にはまっているのですから、いくら欲望を追い求めても決して満足することはありません。また、苦行で体を痛めつけ続ける人は疲労と衰弱で通常の考え方ができなくなります。そんな状態では本当の自分を見つける事はできないと言う考えです。
もし本当のことが知りたいのであれば、極端を離れなさい。という考えです。気持ちいいからといって快楽を求めてもそれは限りが無いし、逆に苦しい事をして自分を責めても事態は何もよくならないのですね。
- 人生は苦に満ちている。
- 四苦八苦について
- 「生」生きていることはそれだけで苦しい。
動物である以上、私たちはえさになるものを探して食べなければ生きて行けません。
- 「老」老いるってことも辛い。
今までできていたことがだんだんできなくなるのはとても辛いことです。
- 「病」病気になるのもやっぱりつらい。
バイクに乗っててこけて、骨が折れたら痛いし、うまく歩けない。
仕事だって思うようにできない。
骨が折れたらみんな親切にしてくれるけど、心の病気にかかったら誰も理解してくれない。
- 「死」死ぬのは絶対いや!
やっぱり生きていたい。痛い思いをしても生きていたい。
いままでが「四苦」と呼ばれるもので、それに、次の「四苦」を足して四苦八苦するらしい。
- 好きな人とは別れないと行けない。
- いやなやつと一緒にいないといけない。
- ほしいものが手に入らない。
- やりたいことが思うようにできない。
- その「苦」を引き起こすのはいろいろなことを強く望むこと(煩悩に執着すること)であるらしい。
- 本当にそうかちょっと考えてみましょうか?
- 生きることが苦しいのはよりよく生きたいと思うから苦しくなるのかな。
- 年を取るのが苦しいのは自分ができていたことができなくなると思うから苦しくなるのかな。
- 病気が苦しいのは、病気になる前の自分に戻りたいと思うから苦しくなるのかな。
- 死ぬのが苦しいのは生きつづけたいと思うのから苦しいのかな。
- 好きな人と別れるのが苦しいのは、好きな人といつまででもいられると思うから苦しいのかな。
- いやな人といる事が苦しいのは、いやな人が自分に何か悪いことをするのが怖くて苦しいのかな。
- ほしいものが手に入らなくて苦しいのは、ほしいものを求めるから苦しいのかな。
- やりたいことができなくて苦しいのは、何かをやろうと思うから苦しいのかな。
- 人は物事を強く望まなければ、苦もまた自然になくなってしまう。
- それならちょっと考えましょう。
- よりよく生きたいと思わなければ生きることは苦しくなくなる。
- 自分ができていたことができなくなってもかまわないと思えば楽だろうな。
- 病気のままでもいいじゃないかと思うと楽になる。骨が折れていてもいいじゃないか。心の病気にかかっていてもそれは仕方が無い事だとあきらめれば楽なんだな。
- 生きつづけたいと思わなければ別に死んでもかまわないのだろうな。
- 好きな人と一緒にいなくても自分は自分、相手は相手と考えれば困らないぞ。
- いやな人が自分悪い事をしても、それは悪い事をする奴が悪いんだからあまり困った事じゃないなあ。
- ほしいものなんていらないや。そう思えばそれがが手に入らなくても苦しくないなあ。
- やりたいことができなくて苦しいのは、何かをやろうと思うから苦しいのかな。どうでもいいやと思えばそれはやっぱり楽なんだろうな。
確かに煩悩を消してしまえば楽な気持ちになれそうだな。そうかも知れないけど、これは自分が生きている事にはならないなあ。それになんとなくなげやりな態度になってしまうのもなんか変だな。
確かにそういった状態は心の静まった状態なんだろうけど、そこには何もないなあ。それに生きている実感がこの感覚にはないなあ。これが「目覚めた人」の目指す「涅槃」の境地なのかなあ。
それに煩悩は生きていくために必要な事柄も多く含まれている。動物である以上ご飯は食べないと生きていけないし、女の人と交わらなければ人類は滅んでしまう。より良い条件の所に移動したほうが生存する可能性は大きくなるし、いやな人のところにずっといる事は自分にとっては苦行以外の何物でもないような気がするなあ。苦行はしてはいけない事になっているんじゃなかったけ。
うーん。どうすればいいのだろう。それには、次に目覚めた人が説明した八正道を実践しないといけないらしい。
- この煩悩を滅するには正しい方法(八正道)を身につけなければならない。
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その方法としては、何より正しいものの見方(正見)を確立する事が必要である。
そのためには、正しい意思(正思)と行為(正語・正業)にもとづく、正しい生活(正命)を確立する事が必要で、それを確立するには正しい仕方で努力して(正精進)精神を集中(正念)して、精神の自在を得る(正定)ことが必要である。
うーん。とってもごもっともなご意見ですが、私としてはまず正しいものの見方というものが良く分からない。何が真実なのか良く見極める必要があるのだろうな。人生の真実って何なんだろうそれがわからないと話しが進まないなあ。