悩みと共に(抑うつ 神経症 気分変調 うつ病 摂食障害)

すんだひとみ
澄んだ眸
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仏教

はじめに

 仏教について私の感じる事を書いていこうと思います。宗教としての仏教ではなく、人を苦しみから救う仏教の思想についてまとめていきたいと思います。
 「目覚めた人」=「ブッダ」。そして、「ブッダ」の音を漢字にあてたのが「仏」。その人の教えだから「仏教」といいます。何か持ってまわしたような言い方になっているのが私としては残念です。
 人生の真理に目覚めた人が仏様と言うことになります。キリスト教では神様になるための方法は教えてくれませんが、仏教では人生の真理に気づき、こだわりから自由になる方法を教えています。
 聖徳太子の時代から延々と日本文化に大きな影響を与えている仏教はもともと誰にでも理解し実践できるものです。
 しかし、歴史的な背景と古いしきたりを大切にするあまり、今の日本のお寺さんがやっている仏教は生きている人を救うことにあまりにも無頓着だと思えてなりません。
 仏教の経典は「お経」ですが、このお経は極めて難解です。
 飛鳥時代に中国から伝わった仏教はもちろん「漢文」でした。その当時は知識人と呼ばれる人たちは「漢文」が読めたのですから、その当時は漢文で良かったのだと思います。ですが、平安、鎌倉と時代を経て、光の速さでインドのホームページにアクセスできるようになった現代では、漢文のお経は文化財以外の何の意味も持たないと私は思います。
 キリスト教の経典「聖書」は日本では日本語で書かれています。その日本語の聖書は年を重ねる事に微妙に改版されているのをご存知でしょうか?昔「汝の欲せざるところ、人に施す事なかれ。」と書かれてあったところは、「あなたがしてほしくないことは、人に行ってはならない。」に書き換わっているということを聞いたことがあります。昔の方がなんかカッコ良く聞こえるのに、キリスト教は誰にでもわかるような言葉に置き換えることを優先してくれるのですね。本当に聖書を読む人のために聖書は書かれている感じがして、とても好感がもてます。

こだわりから自由に

 仏様は「うつろいゆくものにすがってはならない。」言ったそうです。人の言葉も生きている環境もサーキャ族の王子ゴータマ・シッタールタがいた時代や仏教が日本に伝来した時代とはどんどん変わっていっています。  私にはお経がいまだに普通の日本語で読まれないのかよくわかりません。しかし、そのことにこだわっていては大切なものが見えなくなります。

 仏教の中には苦からのがれる方法が示されていることも事実です。私はその教えの影響を受けて「抑うつ神経症」から立ち直れたことは紛れも無い事実です。しかし、宗教としての仏教が私を導いてくれたわけではありません。南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華を唱えて楽になったわけではないのです。
 今日ゴータマ・シッタールタとその人に関わった人の人生に対する深く幅広い洞察があってはじめて私は地獄のような苦しみから逃れる事ができました。
 私にはそれをうまく説明する事はできないかもしれません。ですが少しずつ何かしら苦しみぬいている人のお役に立てればいいと思っています。
 現在の内容は今のところ未完成ですが、徐々に充実させて行きたいと考えています。このページの充実と共に、私の人生観のページは仏教の色合いを徐々に消していくように順次変更する予定です。

心の再構築
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