悩みと共に(抑うつ 神経症 気分変調 うつ病 摂食障害)

すんだひとみ
澄んだ眸
clear aspect

仏教

人生の真理

 目覚めた人が真理だと考えていた事は何なんでしょうか、少しまとめてみましょう。(私としてはあまり4文字熟語は使いたくないのですがそれ以外に適切な言葉が見つからないので仕方なく書いています。)

諸行無常

全てのものは時間と共にうつりかわってゆきます。(諸行無常)
 全てのものは時間と共にうつりかわってゆきます。
人が有性生殖をする生物である以上、固体は他の固体と交わり、自分たちとは似ているけど微妙に異なる世代を残した後は、死んで次の世代に世界を明渡すことになっています。 固体が死なないと、新たな固体が永遠に増えつづけて、世界を食いつぶしてしまいます。死があるから生物の進化そのものが成立していると考えるのが妥当です。 人は他の全ての生物がそうであるように新たな世代を残して死ぬ事が運命づけられている存在であることは確かです。
 もちろん、そんな長期的なスパンで考えなくても、何一つ同じ状態を保つものはありません。
さっきご飯を食べたとおもったのに、いつのまにか腹が減る。 今まで泣きつづけた子供が、今は笑っている。 ぼーとしていたいのに、いつのまにか日が上り、いつも間にか日が暮れる。 昨日一生懸命復旧したコンピュータは昨日と全く違う今日のデータを処理している。 いつも元気にアクセスできたハードディスクはもう今日は動かない。 明日になって日が昇ると、お日様の出てくる位置は少しだけ昨日と違う。 人の気分も日によって変わり、常に同じじゃない。 新しく作ったものは日々古くなり、いつか無くなってしまう。 昨日笑っていた友達も、今日は怒っているかもしれない。 新婚当時細かった嫁さんのウエストも、だんだん太くなってくる。 私も刻一刻年をとり、いつかは死んでしまう。 子供もだんだん大きくなり、今までできなかったいろんなことができるようになっていく。 春が来て、夏になり、秋が来て、冬になる。 そんな営みを繰返しているようにみえるけど、今と全く同じ状況は、絶対にやってこない。 世の中常に変わっている。世の中いつも動いている。そして、今と全く同じ状況は二度と発生しない。 昨日と同じお皿を洗っていても、昨日は昨日の汚れをとっただけ、今日は今日の汚れを取らなきゃ。 おんなじ仕事をしているつもりでも、昨日の仕事と今日の仕事は全く違うんだな。
 この考えは人生の真理だと私は考えますが、みなさんはどうですか?

諸法無我

なんでもそれだけでは存在できない(諸法無我)
 全てのものの成り立ちを考えると、それぞれのものは何らかの原因と様々な条件が重なって発生していると考えられます。
早い話、私って、親がいないと生まれてこなかったものなんですね。さらに、私が人と日本語でお話できるのも、家族や友達が日本語をしゃべるからなんですね。 誰かの話し方を見て、話すことを覚えたんだろうな、きっと。 誰かが「この色は赤だよ。」と教えてくれたから何かを見たとき、赤い色と他の色を区別できるようになるんだな。 だれかが算数を教えてくれたから、数の概念を理解できるようになった。 それに、別に直接教えてくれなくても、何かについて書いてくれた本があれば、いろんなことを理解できるようになるんだな。 目の前のものが何かという判断は、誰かがそれを教えてくれたからできるようになるんですね。その人が別の価値観を持っていれば、私という人間は別の価値観を持つようになっていたかも知れないですね。
それに、何が自分にとっていいことかは、自分の直接経験や他人の絆をもとにして決めていくんですね。
オイルまみれでエンジンを修理している親を見て育ったから、機械いじりは結構好きだし。 プログラムを作ってあげると、他人が喜ぶから、プログラムを作るのがうれしくなったりするんだな。 大人になったら働くことになっているから働くんだな。 働かないとお金がもらえなくて、お金がもらえないと生活できないから、やっぱり働くんだな。 お金が欲しいからといって、他の人のものを盗んだら、盗まれた人は困るし、それがばれてると、おまわりさんがやってきて、牢屋に入れられる。そんな社会で生きているからお金を盗まないんだな。
ある状況になったら、どんなことをするべきだとかこんなことはしちゃ行けない。といった規則も、自分の考えで判断しているように思うけど、誰かの影響を受けているんだ。 みんなお互いに影響しあっているんですね。
それは人間だけかなあ。

目の前のディスプレーはコンピュータと繋がないと意味無いし。コンピュータは電話と繋がないとホームページは見えないぞ。 机の上の消しゴムは、机があるから落ちずにそこにあるわけだ。世の中にある全てのものは、他の何かと関連していて、全く独立して何かがあるわけではないんだ。みんな何かと何処かで繋がっているんだ。
私が私だけで存在することなんて、やろうと思ってもできないことなんだな。 そういった私と言う存在は「もともとこうじゃないといけない。」なんて本質は何処にも無いんじゃないかな。周りの環境にうまく適合できていればそれでいいのじゃないかな。もし別の世代、別の場所に私が生まれていたら、私のありようも現在の私とは変わっていたはずだから。

苦からの脱出
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