悩みと共に(抑うつ 神経症 気分変調 うつ病 摂食障害)

すんだひとみ
澄んだ眸
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仏教

空とは一体何でしょう。
 もう一度、「般若心経」の現代語訳を見て見ましょう。  色即是空、空即是色だと書いた有名?なお経なのですが、「空」と言うのは人が認識できる全ての物だったり心の働きだったりすると書いてあります。人にとって外界を認識したり判断したりするところは何と言っても「脳」です。私は「空」とは個人の脳に蓄えられている記憶などの膨大なデータとそれを処理するプログラム(これは..であるといった認識のルールや、こう言うときはこうしようという規則、新たな事象と過去の事象を関連させて新たな対応考える能力)ではないかなと考えています。そう考えるといろいろのことがうまく説明できるような気がします。
 人間の頭にあるデータは実体ではありません。外界を再現するモデルにすぎません。例えば「机」というものは、その人が生まれて見た机の情報が抽象化されているものです。私の考える「机」とあなたが考える「机」とは、全く同じ物であるかどうかはだれも保証してくれません。そう考えると、誰もが同じ世界を共有していますが、それぞれの持っている世界は別々のものだと考える事ができます。もし外界や自分に対するモデルを実体だと思って行動しているのなら、そのモデルが実態と合わなくなったら、それを実態に合わせるように修正する必要があります。脳とはコンピュータと同じ情報処理装置です。と言うより人間の思考プロセスを真似て作り出したのがコンピュータなので、本末転倒してますね。それはともかく、コンピュータのプログラムやデータは不都合が見つかればいくらでも変更できます。航空機の航路情報が間違って入力されていれば、まちがった進路を飛んでしまいます。そのような不都合なデータは修正しなければなりません。それと同じで、人の考え方や物の見方も現実にそぐわないものなら変更する必要があるし、自分がより良いと思った考え方に柔軟に変更する事が可能です。だけどそれをしないのは、その考えや物の見方にこだわる強固な自我があるためです。それがあるために、人生は苦しくなっていますよ。そのような執着をにこだわる必要はないのですよ。全ては「空」と呼ばれる実体の無いモデルなのですから。いくらでも自分がいいと思った方向に変えていいですよ。そうすると楽に生きられますよ。とこのお経は言いたいのではないかなと今は思えます。
 原始仏教の経典である発句経には、
 「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永久の真理である」
 とあります。
 ありとあらゆる気持ちをそれ以上の気持ちで報いようとしたら、その感情の虜になってしまい。その感情から逃れることはできません。
 なんとかその気持ちを煽り立てず、静かな気持ちで見つめ、その感情を乗り越える智慧を持つよう考え直さないといけないようです。
涅槃
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