意識がうすれているときは、自分がなくなってしまわないけれど、あるともいえない変な状態になります。
この瞑想状態になったとき、私は気づいたのです。
何もしないただ座っているだけの何もできない自分がいることを、ただそれだけのことに気持ち良いと安心できて いる自分がそこにいることを。
過去の生活の中では決して得られなかった安らぎがそこにありました。
いままで、コインの裏側しか見ていなかった私が始めて表側を見たような不思議な切り替えを体験しました。
瞑想しているあいだは、私は外に向かって呼吸以外の何もしていません。でも、私はちゃんと座っていて、あるでもなく、ないでもなく、ただいるだけです。何もしなくても、私は存在しています。
デカルトは「我考える故に我在り」と言ったらしいですが、考えなんかなくても私はこの世にいるものらしいですね。誰かの許しが無くてもこの世にあるものだし、誰かが否定してもやっぱりこの世にあるものらしいです。そんなことがなんとなくわかってくると、何もない自分に安心することができます。何かを成してもまた成さなくても私はこの世に今いるのですから。