あるテレビ番組で、人間と暮らすようになったゴリラのことが報道されていました。
ゴリラと人間は音声で意思の疎通はできないのですが、手話を使ってお互いにコミュニケーションをとることができるそうです。
ある日、一緒に住んでいる人がゴリラに手話で「いちばん悲しかったことは何?」と聞いたところ、そのゴリラは「沢山の人がやってきて、私のお母さんを殺したこと」と答えたそうです。
ゴリラにも感情があるのですね。感情を感じられない人がもしいるなら、その人はゴリラ以下の存在なのかも知れません。
ゴリラが手話を学習したのは、母親が殺されて人と一緒に住むようになってからですがら、悲しいといった感情は言語や論理的思考を学習する以前にそのゴリラの中に宿っていたと考えるのが普通ですね。
このように、私たちが普通に感じる感情は私たちが生きている限り自然に感じるものでその感情を一時的に抑えることができても、過度に抑え続けることはできないものなのかもしれません。なにしろ感情は自然に備わっているものらしいですから。
人は様々な感情に支配されて生きています。感情や欲求は自分の体の中で起こっている状態と周囲との状況を知らせてくれる信号みたいなものですね。
その感情のなかで自分が生きていくために必要な感情があります。
上記以外の例えば嫉妬や後悔といった感情は人生を前向きには導かない歪んだ感情とみなす考え方もあります。
ある統計によると、人が苦痛を感じている時間と気持良さを感じている時間を比べると苦痛と感じている時間の方が長いらしいです。
苦しみはあまり感じたくないはずですが、その苦しみを感じるからこそ、その苦しい状態から逃れようとするわけで、苦しみを感じなければ、その状態より良い状態にを望むことも、良い状態に向って行動を起こすこともできなくなります。
苦痛を感じることは生きることに必要なことなのかも知れません。