自分の外側には、自分の思い通りにならないものが沢山あります。
・不完全な自分
・不完全な他人
・不完全な世界
そんなものが次々と襲い掛かってきます。そういうものにめぐり合うとストレスを感じない人はいないと思います。
とりあえず、人の成り立ちから考えていきます。
ストレスを感じてその感情を発散することは人が原始人だったときは生活に密着した必要不可欠なことでした。
嫌なやつがいたら、自分を守るために殴り殺せばよかったのです。
欲しいものがあれば、力ずくで奪えばよかったし、
情欲を感じたらSEXすれば良いのです。
昔、人が狩猟生活をしていたときは、自分の危機的状況(要するに気に入らない物事)に対する対処方法はとっても簡単でした。
そこから逃げるか、それに対して立ち向かうかのどちらかです。
そのどちらにころんでもいいように体のほうは準備します。
筋肉が緊張したり、血圧が上がったり、消化機能が低下したり、呼吸が早くなったりします。
この状態がストレスがかかった状態です。
その後、原始人は逃げたり戦ったりして、筋肉を使う事で体内のホルモンが使い果たされ、気分が落ち着き、ストレスが解消されるのです。
そうして強いものが生き残り、生き残ったものが次の世代を生み出していった結果、人は進化してきました。
自我の目覚めと共に、感情は自分を守り、強いものの子孫を残すために最低限必要な基本的なルールでしたが、人はどこでどうまちがえたのかこの古いルールを適応しただけではうまくやっていけなくなってしまったのです。
上司を殴り倒せば、その時は満足しても、会社を首になるとか、犯罪者になったりして、ますます余分なストレスを受ける事が目に見えてます。
それに、もし殺してしまえば、監禁され社会的に抹殺されてしまいます。
欲しいものがあっても、我慢しなければなりません。(我慢しても手に入らないものがたくさんありすぎます。)
SEXだって好き勝手にはできません。
感情のおもむくままの生活では自分を守る事すらできなくなってしまったのです。
ですから、感情の上に理性と言うこれまたやっかいな物を載せて人は日々生活をしています。
そして感情を理性で押さえ込んでストレスを我慢する生活が続きます。
獣の部分の自分を理性というプログラムでおさえつけて生活しているのが現代の私たちの普通の生活になってしまいました。