大人(成人)の自我状態から発する場合の相補交流を見てみましょう。
親の自我状態でいるときは理性的に何かを調整したり計画しているときです。
成人としての理性が相手の権威的なところにお伺いを立てるときにおきます。
その伺いに対して肯定的な応答をすれば、相補交流となります。
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「このように計画を進めたいのですがよろしいでしょうか」
「そうだね、そうしてくれたまえ」
「会議に遅れても困りますから、早めに出られてはいかがでしょうか」
「そうだね。ありがとう」
話し掛ける方は敬語を使うのが一般的ですね。
社会人なら、事実を確認したり、計画を立てたりするときに頻繁に行っている交流です。
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「いつ、どこで、何が、どうして、どうなったの?」
「このあいだ、私が家で昼寝をしていると、仕事の電話で呼び出され、会社に出て対応しました。」
時間の構造化の活動の時によく使います。
「今何時」と聞いて「知りません」と答えたら、この会話はAからAへの会話です。
でも、なんとなく無視された気分になったら、
裏側で「この質問に相手は答えるべきだ」というCPからACへの交流があるのかも知れません。
「この質問にも答えられないのか」という思いがしたら、相手に対する値引きの感情があるのかもしれません。
相手の気持を聞くときに使われます。
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「なんとなくせつない気持なんですね」
「そうなんです。辛い事が重なりました」