機能分析のまとめ
自分の中の自我状態をちょっとだけ説明しましたがわかっていただけたでしょうか?
他人と気遣う自我状態
他人と気遣うときに働く自我状態には、保護的な親と順応した子供があります。
両者の大きな違いは、「自分のために」があるかないかです。
保護的な親には自分のために他人と関わるわけではありません。
相手が子供なら子供、部下なら部下のために何かをしてあげようとする心の働きです。
一方、順応した子供の心の中には相手のためにといった気持はありません。
自分のために相手の行動に合わせる心の働きです。
自分の安全を確保するために誰かと一緒にいる、あるいは誰かの意見を支持する。
相手を傷つけると自分の身に何か悪い事をされそうだから相手に親切にする。
このような行為は相手を気遣っているように見えます。
しかし、心の中で自分を守るためという意図がある行動ならば、
これは順応した子供(AC)が起こす行為です。
このような親と子の自我状態は個人個人の幼児期の経験に基づいています。
人を傷つけるまで支配的な態度で育てられたか、適度な批判的な態度で育ったかによって子供が記憶する親の態度は異なってきます。
ですから、同じ「支配的な親の自我状態」でもそれぞれの人によって表出する言葉や態度は人それぞれ違いますね。
養育的な親や自由な子供、順応した子供についてもそれらのことが言えます。
私の場合、親に「あんたなんかうちの子じゃない」と言われて黙っている態度を取った経験があります。
今の私は何かまずいことがあったときに黙ってしまう癖があります。
そのときの私は子供の頃親に認めてもらえず悔しい思いをしたときのことを再現しているのですね。このとき私は順応した子供の自我状態にいるわけです。
母親が感情的になって理不尽な言動をしたとき、「何でぞぉ」と非難の声をあげるのは、故障したエンジンを目の前にして困っている父親の言いか他にそっくりだと私は考えています。
理由を問うような相手の理性に訴えかけることで相手を黙らせることが子供のころはできたのですね。その経験を大人になっても「なんで」と言う言葉で再現しているようです。
このように書くと、自分がまずい対応をするのは、子供の頃受けたことだからどうしようもないとあきらめたり絶望したりする人もいるかもしれません。
また、まずい対応をする自分を責めたりするかもしれません。
確かに過去は変えることはできません。まずい対応をする自分も急には変わらないかもしれません。
でも、子供の頃そのような対応とったのは子供ながら生きていくためのとても大切な工夫だったと思います。
そうすることで社会と対応し今までちゃんと生きてきたのです。
大人になった私たちも、子供の頃と同じように生き方の工夫ができるはずですね。
今まで出てきた自我状態は、人によってどの自我状態が働いているかが異なります。
人によって異なる自我状態をグラフにあらわしたのがエゴグラムと呼ばれるものです。
次の章ではこのエゴグラムの書き方と評価の方法を説明します。