新たに分けられた小さな教授は子供ながらの判断を行う機能とされています。
この小さな教授は理論的な解析とは無縁の直感的な判断を行うところです。
例えば、天体の動きを観察し、それを克明に記録していけば、星の動きがある程度わかります。
これは物事を分析する大人の自我状態の働きです。
でも、天体観測を十分行って、東から昇った太陽が西に沈む事や、
月が約28日で満ち欠けを繰り返すことや、
惑星が不規則な逆行運動をすることを現実として受け入れること
がきたとしても、地球が動いているという発想はできません。
星が動いているのではなく、地球が動いているのだなどという、
とんでもないし、確証はもてないけれどなんとなく、といった直感的な発想は
情報処理を冷静に行う大人の自我状態や、
過去に養育者から習得したスローガンからではなく、
子供の自我状態に属します。
数学の幾何学の問題を解くときに、補助線を直感的に入れれる発想を行うためには、
自分の気持を自由に膨らませる必要があります。
もちろん、他人の目を気にしていては新たな発想などひらめきませんね。
ですから、この小さな教授は自由な子供の自我状態に含まれることとして
扱われていたようです。
もう1つの新たに分けられた反抗する子供は
現状から脱却するために自ら行動を起こす心の働きです。
従順でおとなしいねずみでも、追い詰められると猫を攻撃します。
普段従順に人の言うことを聞いているような人も、
あるとき堰を切ったように反抗したりします。
とんでもない事件をおこした子供が、普段はとてもおとなしい子供だったりもしますね。
このような状況を「ACの逆切れ」と呼ぶように、
ACが過剰に高い人はたまに激しく周囲に反抗するようなところがあります。
逆に貯め込んだ怒りを自分に向けて、自傷行為を繰り返したりすることもあります。
よくよく考えて見ると、FCの高すぎる人も周囲の迷惑をかえりみず、
自分を主張することがあり、このような行動を起こす心の機能を「反抗する子供」として
従来のFCやACと分けたほうが子供の自我状態をうまく説明できるようになります。
子供の自我状態の中には「反抗する子供」の機能があり、
ACでいつも自分を抑えているといつのまにか「反抗する子供」が頭をもたげてくる。
一方、FCが過剰になれば「反抗する子供」と結託し問題行動をおこようになると考えます。