悩みと共に(抑うつ 神経症 気分変調 うつ病 摂食障害)

すんだひとみ
澄んだ眸
clear aspect

私は

 病気になる以前の自分を書こうと思います。ですが、「私は・・・」と書こうとするけれど、なかなか書き出せない自分がいます。

 病気になる以前の自分はかなり問題をかかえた人間だったからです。 今ならその問題に気づいて多少改善はしてきていますが、病気になる以前の私は自分で思い出すのも嫌になるほどつまらない人間でした。

 私は家庭の中では黙っていることが多い寡黙な人間だったと思います。 嫁さんからはつまらない人間、会話の無い人間と言われることが多く、自分から自分の考えや気持ちを積極的に言う人間ではなかったのです。

 そんな嫁さんはたびたび私がつまらないことを実家に訴え、実家のご両親が私の家に瀬戸内海を越えて乗り込んでくることもありました。私は、ただ黙って相手の言うことを聞いていました。 黙っていても、しんどい仕事をしている私の姿を見て私の辛さをわかって欲しいという気持ちが心の奥底にあったのだと思います。

 家では熱帯魚を飼っていましたが、ある日、怒り狂った嫁さんが水槽を私の目の前で押し倒しました。水槽は割れ、魚は飛び跳ねました。私はガラスの破片で手を切りながらも魚を別の水槽に移そうとしていたとき、「あなたは私たちのために血を流してくれたことはないけれど、魚のためには血を流すのね」と言われたこともありました。

 仕事が順調なときは、そうでもないのですが、仕事がほんとに辛いときになればなるほど自分の気持ちを表に向かって発することはありませんでした。仕事は他人のためにすることだから、多少の我慢をすること当然のように思っていました。弱音を吐くことが女々しいという気持ちもありました。

仕事は

 私の仕事はシステムエンジニアです。

 コンピュータのプログラム開発に携わっているお仕事です。コンピュータは人と違って、機転をきかせてて仕事をしてくれないし、お客さんは、金を払っていることをいいことに、無理難題を言ってきます。お客さんの無限に広がる無理難題を有限なコンピュータを使ってある程度満足してもらえればOKというお仕事です。

 そうするためにはどうしても理論的な裏付けを出して納得していただくことが大切です。私としては理論の世界で勝負すればいいし、それは得意でした。それに、自分が作ったものがお客さんの役に立つこと嬉しく感じていたし、良いプログラムを早く作ることに楽しみを感じていました。ですから、忙しくてもなんとかやってこれたのだと思います。

 ただ、忙しいときは、朝ご飯を食べてもすぐ吐くようなところがありました。唯一胃が受け入れたものはりんごとかみかんといった果物です。そのとき、放射線科の医者に見てもらったのですが、医者は私の前に受診した婆さんのレントゲン写真と私の写真とを見くらべながら言うのです。「あんたは若いのに、あの小さい婆さんの胃の1/3ぐらいしか無いがね」「人間も30ぐらいになれば面の皮がごつなって自分のことを堂々と言えるようになるけん、そうなるまでは我慢かなあ」

 そのときの医者の言うことを「30になれば直る」などとは思わずに、「他人がどう思うかなんて気にせずに楽に生きる生き方をしよう」と思っていれば、もっと違った人生があったかもしれません。

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