次のカウンセリングは私にとって待ち遠しいものになりました。マッサージに行って気付いたこと、子供との遊びのこと、ふとしたことで、悲しいとか、楽しいとか思えるようになってきたこと、そんなことを先生の前で話しました。先生も「着ている服も明るくなったし、表情がおだやかになりましたね」と私の感情を返してくれました。
「体の調子はどうですか?」とも聞かれたので、「ちょっと振り返ったりすると、びくっと大きく何か大きな信号が伝わるような気がすることがたまにある」「手に物が触れるとちょっと大げさに手が反応することもある」と私は体が感じていたことを正直に言いました。
しばらくお医者さんは考えた末、「抗うつ剤は出すのを止めましょう。」と言いました。「睡眠薬はいつもと同じ時間に飲んで下さい」とも言われました。
そのような薬を飲んでいることに少しだけ抵抗のあった私は、薬から開放される喜びを感じてはいましたが、同時に薬のせいで良くなっている気分がまた逆戻りしてしまうのではないかという不安を感じました。確かに今は、自宅療養中で充分な休養を取り、子供と遊ぶ十分な時間があります。しかし、仕事に復帰したらそのような余裕は持てないと私は思っていました。
薬に代わる何かを身に付けなければならないと思いました。
私の父は小型船舶のエンジンの修理をしていました。高校の頃はその父がエンジンの修理するのを手伝わされたものです。
機械が壊れたら壊れた部分をきちんと見つけなければなりません。故障個所を見つけるときも父は体全体の感覚を使って調べていました。同型のエンジンと排気音が違うとか、煙の色、匂い、時には排気管の中に首を突っ込んで様子を見ることもありました。父親が機械を見るように自分は自分自身を見ているだろうか?と私は私自身に問い掛けることが多くなっていたと思います。
もちろん壊れた部品を手早く交換することは大切です。しかし、どうしてその部品が壊れたかを見定めて、次に同じようなことがおこってもその部分が壊れないようにきちんと調整することはそれより大切なことです。それができる修理屋とただ部品交換しかしない修理屋とはそういったところで腕の違いがあると父は常々言っていました。そのような調整個所が私の心にもあるのではないか?とも思いました。