そうしている間に、復職の日が近づいていました。
復職を連休明けにしたのは、「大勢が仕事をしている中に一人だけ戻るという意識を和らげる効果がある」とお医者さんは説明してくれました。
一度中間報告のために職場に自分の状態を説明に行きました。気持ちの面ではどのように落ち着いているかをお知らせするために、認知療法で作ったうつ度や自分のこだわりについての資料を持っていったのですが、課長さんはそれを不思議そうに眺めているだけでした。でも、子供がかわいいと思えるようになったことを話すとほっとした様子でした。
ついでに、自宅療養の休暇の手続を行いました。病気になった季節が丁度年度をまたいでいたので、前年度からの繰越の有給と今年度の有給ですますことができることにそのとき初めて気が付きました。それでも足りないところは、医療休暇を使い、非常にラッキーなことに給料をもらいながら自宅療養がすごせ、5月の連休明けに復職できれば、本年度の有給も20日近く残る目処が立ちました。
自宅療養前に手続きだけしていた、情報処理技術者試験も受けることにしました。「気が向いたら勉強して、絶対義務にはしないこと」と医者は言ってくれたので、気が向いたときに勉強しました。そして、正解を書こうとせずに、「自分の知っていることを全部吐き出す」ことだけに意識を向けて試験に臨みました。
そして、復職したら、「当面の間残業は0で仕事をすること」だけはしっかり守るように言われました。
復職の日が近づくと、やはり緊張します。
やりのこした仕事。これからの仕事。心の病気であることでの周囲とのかかわり方。などがとても気になりましたが、気にしたところで事態は何も好転しないので、普通の日曜日を過ごすように休みました。
最初、職場に行ったときはものすごく不安でした。
でも、以下の点に気をつけました。
そんな思いで一杯でした。
そして、昔働いていた会社のフロアに入りました。物凄く緊張していました。
「誰にも声を掛けられないんじゃないか」といった不安は、ある女性の「おはようございます。」というにこやかなそれでいて自然な挨拶できれいに吹き飛んでしまいました。この時ほど挨拶のありがたさが身にしみたときはありませんでした。
席につくと、ずっと前に一緒に仕事をしていた人が話し掛けてきました。「お久しぶりです。どこに出張されていたんですか?」他人というものはその程度のことでしか自分のことを見ていないんだなと驚き、「私が病気であることを職場のみんな知っている」という考えは幻想だったことがわかりました。「いや、ちょっと」と私がいいかけると相手は別の話題を話し始めたのでそれを適当に聞いていました。
連休明けだったので、朝礼で取締役が挨拶をしていました。「銭の世界の話しかせんなこの人は」と思いました。 その日は、発病当時一緒に仕事をしていたプロジェクトの人たちに集まってもらって、自分が心の病気であったことを告げて、迷惑をかけたことを謝りました。真実を話すことが私が彼らにしてあげれる最大の誠意だと思ったからです。
上司の配慮により、以前一緒にいたグループとは別のグループとなりました。
いきなり、自社とは違うユーザーさんのマシンルームに連れていかれました。そこには同じ会社の仲間が二人いましたが、周りはユーザーさんだらけのところでした。初日から、残業0で仕事をしました。
「今日は、その日の定時までの仕事をして、続きは、明日にします。もし、それで、進捗が遅れたら、別の人をアサインして下さい。その人に残った仕事をしてもらいます。」
と、新しい上司には宣言していました。
「〜できない」と言い切ったのはそのときがはじめてだったような気がします。そして定時がくるとさっさと帰宅しました。仲間もそのことはわかってくれていました。