翌日、診断書を持って上司のところへ行きました。
すると、直属の上司と課長と私とで、取締役の所へ出向いて話をすることになりました。
取締役は「どしたん。女でもできたか?」と聞き始め「そんな元気があれば私はここに来ません」と私はうんざり答えました。人の気持ちを理解しようとしない人がここにもいる。そう思いました。
いろいろなことに話は進みましたが、子供の話題になり、私が「自分の子供のことをかわいく思えない」と他人事のように平然と言うと、一瞬沈黙がその場を支配しました。
私は自分が感じることを問われるままに素直に言っただけだったのですが、ここまで話をしてみてやっと事態の深刻さを周囲の人は察知したみたいです。
「それはゆっくり休んだほうがいい」と直属の上司は言い、その言葉を待っていたかのように私が休むことのお許しが出て、取締役とのお話は終わりになりました。
その後、仕事の引継ぎをしました。何をどう引き継いだのかよく覚えていません、きっと本当に辛いことは私の無意識が蓋をしてくれているのでしょう。
ですが、以前、私の不注意で病院に行かせてあげられなかった担当者に私のやりのこしの仕事を放り出したことは確かでした。
こうして自宅治療が始まったわけです。
睡眠薬と抗うつ剤を飲み、普段の休みの日と同じような生活を送る様に医者に言われたのですが、最初の1日を除き寝れない日が続きました。
考えてみれば、普段の休みの日と同じようにすごせと言われても、私にはいる場所がありません。子供の手前、朝は出勤するようなふりをして松山市内をうろうろしました。
プールに行って泳いだりもしました。でも、気分は晴れません。気づいた事は平日でも案外人は休んでいるんだ。と言う事ぐらいでしょうか。プールに行っても私一人ぐらいしか利用していないはずだと思っていたにもかかわらず、同じ年代の人が沢山泳いでいるのに驚きました。
普段行けない図書館にも行って見ましたがやはりそこにもサラリーマンふうの人たちが休日のときとさほど変わらずいることに気がつきました。
でも、意識はぼんやりしてしまってぜんぜん楽になりません。
困った事に何の変化も私の体には起きないのです。
たしかに体の疲れはとれましたが、決して気分が晴れることはなかったのです。