そのうち、妻の勧めで、マッサージに行くことになりました。嫁さんの友達夫婦がそのマッサージ師にすっかりほれ込んでいるらしいのです。一回一万円近いマッサージは高いなあと思いましたが、せっかく気を遣ってくれているのだから行ってみることにしました。
ベッドに寝ていて、マッサージが始まると、そのマッサージをしている親父が
「あなた、コンピュータ関係の仕事をしてるでしょう」
とぽつりと言いました。
私は、びっくりしました。
「なんでわかるん」と聞いてみると「体がそうなっとる」とことなげに言うのです。
すっかり体は休めていると信じていた私はそんなはずはないと思いました。そして、ふっと気が付いたのです。「仕事をしていない状態が2週間も続いているにもかかわらず、私は休んでいないのだ」「休んだつもりになっているのだ」「少なくとも、心は仕事を続けているんだ」なんて考えがふつふつ湧いてきました。
実際、私は治療で休んでいる間も、頭の中であのプログラムはどうなったんだろ、残った人たちには苦労をかけているだろうなどと考え続けていました。
そんなことを考えてもその人たちの仕事がはかどるわけではなく、人のことばっかり考えて、自分のことはすっかり忘れ去っていた自分にやっと気がつきました。
そして、その一言を聞くまで、自分自身をいたわるなんてことを一切していない自分がいたことに気が付いたのです。
そのように気が付くとマッサージなんてどうでも良くなりました。「自分で自分をいたわる方法を探さなきゃ」と思い始めたのです。
いても立ってもおられず、自分で自分をいたわる方法を求めて、本屋でその手の本を片っ端から読み漁りました。
私の住んでいる町には専門書を扱う本屋は明屋書店、紀伊国屋書店、丸三書店の三店しかありません。 それが半径500mの円内に入っているのが地方都市のいいところです。1日かけてやっと見つけた本が「瞬間リラックス」(河出書房新社)です。
この本は、私にとって大きな救いでした。ストレスとは何かの説明から始まり、いろんなリラックスの方法が載っており、その中の顎の力を抜くことと別の本で仕入れた瞑想をすることで、一時的な安らぎを得ることができました。
そして、ある確信を得たのです。
「何もしないことが休んでいるわけではない。自分を癒すために積極的に何かをしていることがすなわち休むことなんだ」
そんな簡単なことがわからなかったのかと思いながらも、私は、貪欲に自分を自分で癒す方法を模索しはじめました。今までの自分の体や心を無視する生き方をやり直したかったのだと思います。