1週間がたって、心療内科にカウンセリングを受けに行きました。
ロバート・デニーロに似た先生はラベンダーの芳香剤のある机に向かい、カルテを取るようなそぶりをしていました。でも、体は正面から私と対峙するのではなく、お互いがラベンダーの芳香剤を見るような感じで聞いてくれました。
「何か変わった事はありましたか」
と先生は切り出しただけで、自分からは何も言ってくれません。
仕方なく、取締役と面談して、「自分の子供が可愛く思えない」と言ったときにの話をすると、「まわりの雰囲気がガラッと変わったのが、意外だったのですね」と言ってくれました。
今このことしか私の意識に残っていないということは、私の感情が言葉になって出たところはそこしかなかったのかも知れません。先生はその他のつまらない日常の話しを私がするのを適当に聞いているだけで、その週は薬の量を決めたのと
「そのうち、気づくことが多くなります。」
と助言とも予言ともわからない言葉を残してその週はおしまいでした。
それから、やはり私には何もすることはありません。そのことがとても寂しい感じでした。
ただ、図書館で「心の日曜日」という本の中に、「皿洗い」をしてみればいいと言う記述があったので、やってみることにしました。
実は「皿洗い」なんて嫌だったのです。嫁さんが「後片付けして」と言って無理やりやらされたことはあったのですが、皿洗いなんか男のすることじゃないと思っていましたから。
それに、またどうせ汚れてしまうんだから、「今きれいに洗いすぎても損だ。」というひねくれた考えを持っていたことも確かでした。
それでも、あまりにもする事がないのと。平日の家庭での役割が子供をお風呂にいれてやること意外ほとんどない事などから、ちょっとだけやってみることにしました。
嫁さんが積み残したお皿を一つ一つ洗剤で洗ってゆすいできれいにしました。
無駄と思えることができた。ただそれだけのことがほんの少しうれしく思えました。ただそれだけのことしかその週はおこりませんでした。
何かをしたいとも思えないけれどいろんな事が気になりました。
早く病気は治したいと思う心と、堂々と休めて気持ちがいいと言う本音と、会社で私に代わって仕事をしてくれている人に済まないと思う気持ちと、病気が本当に治るのかという不安といろんな思いが私の頭の中を渦巻いていて、頭の中だけがぐるぐるとおんなじところを回っている精神状態だったと思います。
この週も先生と先週と同じようなやり取りを行ったのですが、やはり進展はありません。
カウンセリングを受けると、目の前の確かに先生がいて、私のことを聞いてはくれるのですが、全くの自由な空間が与えられている感覚がとても怖かった事を覚えています。
このままの生活が続くのか?こんなことで治るのか?と思うと、いったいどうなる事が治ることなのかだんだんわからなくなってきました。このような不安は私の心の中に秘めたことで、先生に気持ちをぶつけるとか、疑問に思っていることを尋ねることはしませんでした。