仕事が不規則だったのかもしれませんが、だんだん眠れなくなってしまいました。
「どうしてあんなことになったんだろう」と考えはじめるといろんな考えが頭の中を駆け巡って、眠ろうと思っても眠れないのです。そのうち、だんだん生きていくこと自体がいやになり、楽に死ねることを考えるようになります。
最初のうちは漠然とした願望でしかありません。
「道歩いていて、隕石でも落ちてくれば、楽になれるのに。」
ぐらいから始まります。
そのうち「街歩いていて、車が引いてくれたらいいのに。」
とか思い始めて、だけどもそんなにうまく他人が私を殺してくれそうにないことがわかると、次は自分が過失を犯すことを考えるようになります。
高いビルとかに上ると自然と「足が滑って、ここから落ちればいいのに。」と思うようになり、車がビュンビュン走る道に立つとと自然と身を乗り出してしまうようになります。
家で首をつろうとか、ガス自殺は火事になるからいやだとか、具体的な方法をそのうち考え始めます。
そのような考えを持っている人間にとって、死はつらいことでも不安な事でも暗い事でもなんでもなくなって、ただ実行するか否かの問題になってしまいます。
その時私が死ななかった理由は、自殺をすると保険が支払われないかもしれないと言う問題があったからで、そうじゃない事を知っていれば、ちょっとしたきっかけさえあれば、この世とおさらばして、私もこのようなホームページを作れなかったかもしれません。
そのときは、思いとおりにならない自分と、利害関係だけで仕事をさせようとする上司や仲間との間に立っているのがいやでいやで仕方がありませんでした。でも、私に与えられた仕事はきちんとしないと嫁さんや子供は養えないのと、仕事仲間に迷惑をかけるのがいやで、会社にだけはでかけていって仕事をしていました。
そして家に帰っては、楽に死ねる方法とどうして自分はうまく仕事ができないのか、できるようになるにはどうすればいいのか、何で簡単なことを間違えてしまったのかをぐるぐるぐるぐる考えつづける毎日が過ぎいきました。
生物としての自己防衛機能が私を守ってくれていたおかげで、そのときはなんとか死のうと思った事を実行にはうつせませんでした。死に方は何度も検討できるし、何十回となく死ぬ想像はするのですが、実際に死のうと思っても身がすくんでしまってできません。
すると、自分を見ている自分が言うのです。
「死ぬ度胸もない。」
それでも、やはり楽に眠りたいので「メラトニン」という薬を個人輸入して飲みました。飲んでみると眠たくはなります。でも、意識のほうはいろんな事を考えるので、体は寝たがっているのに頭は起きていたいと言った状態が続きました。
丁度、アクセルと同時にブレーキをかけて車をはしらせているようなものです。ブレーキはすりへり、スピードは出ません。エンジンにもすごい負荷がかかるので主要な部品が壊れて行きます。